日本歴史地名大系 「塀裏」の解説 塀裏へうら 徳島県:徳島市徳島城下塀裏[現在地名]徳島市新内町(しんうちまち)一―二丁目・南内町(みなみうちまち)一―三丁目・両国本町(りようごくほんちよう)二丁目・幸町(さいわいちよう)三丁目寺(てら)島の南東端に位置し、南は新町(しんまち)川に沿い、北は内町および武家地寺島(てらしま)に接する武家地。地名の由来は寛永年間(一六二四―四四)に前方に新町川を望み、後方に塀が続いていたので塀裏とよばれたという(阿波志)。寛永八―一三年の忠英様御代御山下画図ではすでに武家屋敷がみえる。享保一七年(一七三二)の御家中屋敷坪数間数改御帳では一〇軒の屋敷が確認でき、斎藤八兵衛の二千三〇三坪の屋敷以外は二〇〇から六〇〇坪の中小の屋敷である。住民は組士と無足士から構成されている。文化九年(一八一二)の島々丁名改目録では寺島のなかに辰巳(たつみ)浜(巽浜)・塀裏・耳切レ小路・塀裏裏ノ丁がみえる。塀裏は富田(とみだ)渡場通(現幸町三丁目)から牢(ろう)ノ浜(はま)(現南内町二丁目)までの新町川沿いの通りをよび、その北側、新シ(あたらし)町二丁目(現中通町二丁目)に接した通りを塀裏裏ノ丁とよんでいる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by