徳島城の南西、寺島に設けられた武家地。寺島は北の寺島川と南の
武家地寺島の居住者は享保一七年(一七三二)の御家中屋敷坪数間数改御帳では四九人で、家老稲田・賀島両家を筆頭に中老・物頭・組士が大多数を占めた上級武家地であった。屋敷は大きく一軒あたりの平均は八一八坪余で、徳島城下では
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...