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長井長義 ながいながよし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長井長義
ながいながよし

[生]弘化2(1845).6.20. 阿波
[没]1929.2.4.
薬学者。日本の薬学の創始者。長崎で蘭方を学んだのち大学東校に入り,在学中の明治5 (1872) 年にベルリン大学入学,化学を専攻して 1877年に卒業。 84年,大日本製薬会社創設のため求められて帰国し,東京大学薬学科教授,内務省衛生局東京試験所長となる。 85年,漢方薬麻黄の成分エフェドリンの抽出に成功した。 86年ドイツ婦人と結婚。 98年,赤坂に双葉会を創立しその会長となる。 1901年創立時から日本女子大学で化学を教えるなど女子教育に尽力した。帝国学士院会員。

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百科事典マイペディアの解説

長井長義【ながいながよし】

薬学者。徳島の人。1866年徳島藩から選ばれて長崎に遊学,1869年東京に出て大学句読師となる。1871年―1879年ヨーロッパ留学,帰国後東大教授となり,1887年マオウから有効成分として一種のアルカロイドを取り出して,エフェドリンと命名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長井長義 ながい-ながよし

1845-1929 明治-大正時代の薬学者。
弘化(こうか)2年6月20日生まれ。明治4年第1回官費留学生としてドイツにわたり化学をまなぶ。17年帰国し,東京大学教授となる。エフェドリンを発見し,その合成に成功した。日本薬学会を創立し初代会頭。日本女子大の創立にもつくす。昭和4年2月20日死去。85歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。大学東校卒。初名は直安。

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大辞林 第三版の解説

ながいながよし【長井長義】

1845~1929) 薬学者。徳島の生まれ。東京帝国大学医科大学教授。日本での近代的な薬学の研究と教育の基礎を築いた。麻黄の薬効成分エフェドリンを発見。日本薬学会を創設。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長井長義
ながいながよし
(1845―1929)

薬学者。日本最初の理学博士(1888)、薬学博士(1899)。徳島の生まれ。父は藩医で本草(ほんぞう)家。22歳のとき藩命で長崎精得館のオランダ人医師に学び、写真家上野彦馬(ひこま)より化学を習得した。1869年(明治2)大学東校(東京大学医学部の前身)を経て1871年海外留学生となり、ベルリン大学ホフマン教授の下で有機化学を学んだ。ドクトルを得て1884年政府管掌の大日本製薬会社技師長となる。翌1885年漢薬麻黄(まおう)の有効成分塩基エフェドリンを発見した。1893年帝国大学教授就任。薬化学講座を創設し、実験第一の指導方針でその基礎を確立した。帝国学士院会員、東大名誉教授、日本薬局方調査会長、初代日本薬学会会頭、日本化学会会長などを歴任。日独間の学術友好に貢献し、ドイツ薬学会名誉会員、日独協会創立副会長であり、女子科学教育の創始にも力を尽くした。[根本曽代子]
『金尾清造著『長井長義伝』(1960・日本薬学会)』

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世界大百科事典内の長井長義の言及

【アイ(藍)】より

…これに対処して五代友厚の朝陽館による製藍法の改良事業などが興り,徳島でも五代友厚が1874年名東郡下に工場を設置し,精藍事業に着手した。さらに99年には長井長義の指導のもとに精藍伝習所が設置され,いわゆる長井製藍が始まった。しかし,この前後から人造藍(化学染料)がドイツから大量輸入されるに及び,国内藍・インド藍を駆逐して日本の市場を制圧した。…

【アルカロイド】より

…なかでもキナ皮からのキニーネの単離(1820)が重視される。日本では,長井長義の麻黄からエフェドリンを単離した研究が有名である。植物体内でのアルカロイドの生成経路についても知見が集積されつつある。…

【エフェドリン】より

1892年長井長義によりマオウ(麻黄)から単離されたアルカロイド。チェンK.K.Chen(1923)によって薬理作用が検討され,喘息(ぜんそく)の治療に使われるようになった。…

【化学】より

…アトキンソンRobert William Atkinson(1850‐1929),E.ダイバース(ともにイギリス人),ケルナーWilhelm Körner(1839‐1929),ロイプOscar Loew(1844‐1941)(ともにドイツ人)らが理学部,工学部,農学部等にいて,よく学生を育てた。一方,初期の留学生のなかから,日本の化学の中心となった松井直吉(1857‐1911),桜井錠二,長井長義(1845‐1929),柴田承桂(1850‐1910)らが出た。1878年今日の日本化学会の前身である化学会が,81年には日本薬学会,98年には工業化学会が設立され,この間,1886年には帝国大学令が施行されるなど,教育研究の体制は徐々に整備されていった。…

【生薬】より

…一方,実証主義,経験を主とする古方医学――日本独自の漢方医学が発達した。明治時代に入り江戸時代に培われた実証主義を基盤に近代科学のとりこみが急速に行われたが,生薬学の領域では漢薬の基原植物の解明および成分研究がなされ,1892年長井長義(ながいながよし)(1845‐1929)は漢薬の麻黄からエフェドリンを単離した。これ以降,和漢薬および近縁植物の成分研究が行われ,生薬学の主流となっている。…

※「長井長義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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