日本歴史地名大系 「十人村」の解説
十人村
じゆうにんむら
現上田市の西南、塩田盆地のほぼ中央に位置する集落。東は
慶長九年(一六〇四)六月の真田信之黒印状案(大鋒院殿御事蹟稿)に「十人村」とみえるのを初見とし、慶長一三年の上田領最初の貫高帳(大井文書)に「百拾六貫弐百文 十人村」とあり、元和五年(一六一九)真田信之が師岡源兵衛に宛行った三二貫文の中に「高仁拾壱貫五百文 十人村」と記す。
元和八年の上田領高石帳(仙石文書)には「百拾六貫八百四十文 高弐百八拾八石五斗九升五合 十人村」とあり、これが近世を通じての十人村の村高となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報