十人村(読み)じゆうにんむら

日本歴史地名大系 「十人村」の解説

十人村
じゆうにんむら

[現在地名]上田市大字十人

現上田市の西南、塩田盆地のほぼ中央に位置する集落。東は本郷ほんごう、南は前山まえやま村、西南は手塚新町てづかしんまち村、北は中野なかの村に接し、本郷前山村とはさん川によって境する。集落全体が産川河畔の沖積地に立地するが、もとは西北五〇〇メートルの小字古屋敷ふるやしきにあったとも伝える。

慶長九年(一六〇四)六月の真田信之黒印状案(大鋒院殿御事蹟稿)に「十人村」とみえるのを初見とし、慶長一三年の上田領最初の貫高帳(大井文書)に「百拾六貫弐百文 十人村」とあり、元和五年(一六一九)真田信之が師岡源兵衛に宛行った三二貫文の中に「高仁拾壱貫五百文 十人村」と記す。

元和八年の上田領高石帳(仙石文書)には「百拾六貫八百四十文 高弐百八拾八石五斗九升五合 十人村」とあり、これが近世を通じての十人村の村高となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android