日本歴史地名大系 「上田市」の解説 上田市うえだし 面積:一七六・四八平方キロ県東部、上田盆地のほぼ全域と周辺山地を含み、中心市街地が千曲川右岸に展開する。千曲川は佐久(さく)・小諸(こもろ)方面から市の中央部を西北流し、支流を合わせつつ埴科(はにしな)郡に抜ける。上田盆地は条里的遺構が多く残っていることで知られているが、更に右岸の川東(かわひがし)地区は神(かん)川からの用水路の開発が著しく、左岸の川西(かわにし)地区には中世からの溜池が多いのを特徴とする。上田の名は嘉暦四年(一三二九)三月の大宮御造栄之目録(諏訪大社上社文書)の「二之鳥居一之南方上田庄」「外垣五間 上田庄」を初見とする。〔原始〕縄文時代の遺跡は太郎(たろう)山麓の大星(おおぼし)神社周辺殿城(でんじよう)山の西山麓、神川流域の浦沖(うらおき)・塩田の新町(しおだのしんまち)地籍に分布する。また現上田市千曲川周辺・塩田平の産(さん)川流域には弥生時代の遺跡や土師器が分布する。更に古墳時代のものとして、二子塚(ふたごづか)(現上田市新田)・大蔵京(おおくらきよう)古墳(現上田市秋和)や塩田の新町の王子塚(おうじづか)のほか小牧(こまき)山・下之郷(しものごう)(現上田市下之郷)東の山麓・殿城山西麓・新屋(あらや)(現上田市新屋)に古墳群が分布する。〔古代〕東山道は松本方面から保福寺(ほうふくじ)峠を越えて千曲川を渡り関東に向かっていたと推定されるが、その渡河地点が曰理(わたり)駅(現上田市西部の諏訪部とされる)であった(「延喜式」兵部)。当時千曲川沿いに善光寺平(ぜんこうじだいら)を通り越後に至る道もあり、この辺りは古代交通の要衝地であった。 上田市うえだし 2006年3月6日:上田市と小県郡真田町・丸子町・武石村が合併⇒【真田町】長野県:小県郡⇒【丸子町】長野県:小県郡⇒【武石村】長野県:小県郡⇒【上田市】長野県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上田市」の意味・わかりやすい解説 上田〔市〕うえだ 長野県東部,上田盆地を中心に,菅平,美ヶ原などの高原に囲まれる市。中央部を千曲川が貫流する。北東で群馬県に接する。 1919年市制。 1921年城下村,1954年塩尻村,川辺村の2村,1956年神川村,泉田村の2村,1957年神科村,1958年豊殿村,1970年塩田町,1973年川西村をそれぞれ編入。 2006年丸子町,真田町,武石村の3町村と合体。中心市街地は千曲川右岸の上位段丘面にあり,天正 11 (1583) 年真田昌幸が上田城を築城,江戸時代には松平家5万 3000石の城下町,北国街道の宿場町として発展。近世中期から養蚕,製糸業が栄え,上田紬は特産品となっている。第2次世界大戦後は精密機械,電機,乳製品の工業が発達。平坦地では米作やリンゴ,ブドウなどの果樹栽培,高冷地ではレタスなどの野菜栽培が盛ん。トルコギキョウやリンドウなどの花卉園芸も行なわれている。スキー場や別荘地が整備される菅平や美ヶ原などの景勝地,別所温泉や丸子温泉郷などの温泉地を有し,年間を通じて多くの観光客が訪れる。信濃地方では早くから開けた地で,市街地南東部には奈良時代から平安時代初期まで置かれた信濃国分寺跡 (国指定史跡) があり,三重塔は国の重要文化財に指定。千曲川左岸の塩田平には古社寺が点在し,安楽寺の八角三重塔は国宝,常楽寺多宝塔,前山寺三重塔,中禅寺薬師堂は国の重要文化財に指定されている。右岸の上田城跡 (国指定史跡) には隅櫓や堀の一部などが残り,現在は公園として整備されている。法住寺虚空蔵堂は国の重要文化財,鳥羽山洞窟は国の史跡に指定。四阿山の的岩,東内のシダレエノキ,西内のシダレグリ自生地はいずれも国指定天然記念物。市域の北東部は上信越高原国立公園に,南西部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。北陸新幹線,しなの鉄道,上田電鉄が上田駅で接続。上信越自動車道のインターチェンジがあり,国道 18号線,141号線,143号線,144号線,152号線,254号線,406号線が通じる。面積 552.04km2。人口 15万4055(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by