日本歴史地名大系 「千同村」の解説
千同村
せんどうむら
北は
嘉禎四年(一二三八)七月日付の安芸国佐西郡三ケ年作田所当進未注進状(新出厳島文書)に「佐西郡解申注進嘉禎元二三ケ年作田所当官物進未引付事」として「千同二丁二反」がみえる。戦国末期と考えられる欠年の厳島社家領社役田高辻覚(厳島野坂文書)に「仙塔」、慶長(一五九六―一六一五)頃と推定される厳島社社家内侍領等高辻覚(野坂文書)に「千答」、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に「船頭村」、広島藩御覚書帖に「仙洞村」、文政二年(一八一九)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報