安土桃山~江戸初期の大名。幼名市松,左衛門大夫,清須侍従と称し,高斎と号す。尾張国二ッ寺村(現愛知県あま市,旧美和町)に出生。父は市兵衛正信,母は豊臣秀吉の伯母という。俗書に桶屋の子と伝えるが確証はない。1578年(天正6)秀吉に仕え,82年播磨神東郡内で300石を加増され,翌年賤ヶ岳の戦に〈七本槍〉の筆頭として活躍,他の面々が3000石であるのに別格の5000石の加増をうけた。85年紀伊雑賀攻撃で和泉畠中城攻めに功をたて,一躍,伊予で10万石を領して秀吉子飼いの大名となり今治に居城,従五位下左衛門尉に叙任した。87年九州征伐に従い肥後宇土の一揆を平らげて,1.3万石を加増され,90年伊豆韮山城攻撃の先鋒をつとめた。92年(文禄1)文禄の役には竹島で兵粮輸送にあたり,帰陣後は伏見城工事を分担,95年豊臣秀次の処刑後,代わって尾張清須城に移り24万石を領した。尾張は織田氏由緒の地であり,秀吉が織田色を一掃するために親族の秀次を置いたのであるから,正則がいかに重視されていたかうかがうことができる。秀吉にとって,また正則自身にとって故郷であり,関東に対する重要拠点であることから,正則は清須城を拡張し民政にも腐心している。97年(慶長2)羽柴の氏を授けられ従四位下侍従に昇任した。
1600年関ヶ原の戦には徳川家康に従い会津攻めに東下し,下野小山での軍議で正則は率先して家康に尽くすことを誓い,急ぎ帰城した。美濃以西は西軍に属する者が多く,木曾三川をはさんで尾張の領主正則の去就は大きな問題であった。正則は美濃竹ヶ鼻,岐阜城攻略の中心となり,関ヶ原の戦でも先鋒をつとめた。その功で安芸・備後で49.8万石を与えられ,広島を居城とした。10年名古屋築城に参加し,大坂冬の陣には豊臣恩顧のために敬遠され江戸城の留守居を命ぜられた。17年(元和3)従三位下参議に昇任したが,徳川氏の豊臣系大名取りつぶし策のもとに19年広島城修築許可の手続不備をとがめられて芸備2国を没収された。信濃川中島と越後魚沼郡4.5万石に移され,信濃高井野村に蟄居し,ほどなく病没した。
執筆者:小島 広次
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安土(あづち)桃山時代の武将。永禄(えいろく)4年尾張(おわり)国海東郡二寺(ふたつでら)村(愛知県あま市)に生まれる。幼名市松。父は正信(市兵衛)、母は豊臣(とよとみ)秀吉の叔母木下氏という。家業は桶(おけ)屋であったともいう。幼少より秀吉に近侍。1578年(天正6)秀吉の小姓衆として播磨(はりま)国(兵庫県)三木(みき)城攻略に従軍、初めて功名をあげた。その後も秀吉の旗下として山崎の合戦、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦(1583年、七本槍(やり)の一人、5000石の物頭(ものがしら)となる)、小牧(こまき)・長久手(ながくて)の合戦などで武名をとどろかす。1585年従(じゅ)五位下左衛門尉(さえもんのじょう)に任ぜられ、以後左衛門大夫正則と名のる。1587年秀吉の九州征服に従い、同年伊予国(愛媛県)において11万石を領し、湯築(ゆづき)城(松山市)に入る。のち国分(こくぶ)城(国府(こくふ)城、今治(いまばり)市)に移る。その後小田原征伐、朝鮮出兵などに従軍。1595年(文禄4)尾張国清須(清洲)(きよす)24万石に転じた。関ヶ原の戦いには徳川家康に味方し戦功をたて、安芸(あき)・備後(びんご)両国49万8000石の大名となり広島城に入る。その後広島城の修築を無断で行ったとして1619年(元和5)改易され、信濃(しなの)・越後(えちご)国内で4万5000石を与えられ、高井野(長野県上高井郡高山村)に蟄居(ちっきょ)した。翌年、子忠勝(ただかつ)の死により越後の2万5000石を返上。『徳川実紀』には資性強暴、悪業を行い大名として失格者、そのうえ反逆のうわさがあると記されているから、そこらに改易の真意があったといえよう。広島城主などとしての政治経済・文化政策からみると、実際の正則は能力のある優れた人物であったことが推察される。寛永(かんえい)元年7月高井野で没した。このとき幕府検使の到着前に遺骸(いがい)を荼毘(だび)に付したため、遺領は収公、廃藩となった。墓は京都妙心寺塔頭(たっちゅう)海福院に、霊廟(れいびょう)は岩松院(がんしょういん)(上高井郡小布施(おぶせ)町雁田(かりた))に、屋敷跡(県史跡)は高山村にある。
[青野春水]
『『広島県史 近世1』(1981・広島県)』
(笠谷和比古)
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1561~1624.7.13
織豊期~江戸初期の武将・大名。幼名市松。尾張国生れ。幼少から豊臣秀吉に仕え各地を転戦。賤ケ岳(しずがたけ)七本槍の1人。1585年(天正13)伊予国今治城主。九州攻め,小田原攻め,文禄・慶長の役などに参戦。95年(文禄4)尾張国清須(洲)(きよす)城主となり24万石余を領有。秀吉の死後,対立していた石田三成を失脚させ,関ケ原の戦で東軍の主力として活躍。戦後,安芸国広島城主となり49万8000石余を領有。大坂の陣では,江戸の留守居を勤めたが,1619年(元和5)広島城の修築を理由に除封。ただし越後・信濃に4万5000石が与えられ,正則は信濃国高井野村で蟄居(ちっきょ)。翌年子忠勝が没し越後の所領は返上。信濃の所領も正則の死後没収された。
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…しかし国内には大友・尼子の旧臣や国衆など,毛利氏に臣従しながらも独自の所領支配を温存する者が多く,領国経営の近世化は進まなかった。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で大坂城に入った罪を問われた輝元は,防長2ヵ国に削封されて広島を去り,そのあと芸備両国の大守として広島城に入るのは福島正則である。正則は翌01年,太閤検地の基準による領内の総検地を実施して石高制を確立した。…
…93年の事業はいずれも秀吉の指図により,検地高57万1737石といわれる。95年秀次死後,福島正則が清須城主24万石に,石川貞清が犬山城主1万2000石に封ぜられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,家康は正則を安芸国広島に,直盛を伊勢神戸(かんべ)に転封。…
… 99年正月に入ると,五大老,五奉行内部の対立がしだいに表面化してきた。正月19日,家康を除く大老と五奉行は,家康が伊達政宗,福島正則,蜂須賀家政らと婚姻を予約したことを,秀吉の遺言違反として難詰した。この事件は家康と4大老,五奉行が遺言遵守の誓書を交換して収まったかに見えたが,閏3月3日利家の死をきっかけに細川忠興,蜂須賀家政,福島正則,藤堂高虎,黒田長政,加藤清正,浅野幸長らの7大名が三成を襲い,三成は大坂を脱出して伏見に逃れ,家康の軍勢に守られて居城の佐和山に帰るという事件が起きた。…
…なお,これまで鞆では遺跡・遺物が確認されていなかったが,最近の発掘調査によって現市街地下に良好な状態で遺跡が存在していることが判明した。【志田原 重人】
[近世の鞆町]
鞆は元来,平・原両村に属していたが,1601年(慶長6)福島正則の検地をうけ,町方の鞆町と村方の後地(うしろじ)村とに分離した。石高は鞆町310石余,後地村153石余,1700年(元禄13)の幕府検地では鞆町208石余,後地村428石余に変更された。…
…毛利時代は,枝状に分かれた太田川本・支流と,平田屋川・西堂川(せいとうがわ)両運河に堤防を築き,大規模な城郭を中心として周辺に広く武家屋敷を配置し,町人町は城郭の南西に区画したが,皮屋・材木両町のほかは町名も明らかでない。しかし,1600年(慶長5)福島正則の入城とともに,近世城下町として急速に整備される。 福島正則は城下東端の岩鼻(いわのはな),西郊の佐西郡草津村,および比治山近傍の3ヵ所に大門を設けて町在の境と定めるとともに,武家町を大幅に縮小して,職人・商人町の拡大をはかり,領国経済の要の役割を果たさせようとした。…
…毛利輝元が1589年(天正17)太田川河口デルタの地を広島と命名して築城に着手,翌々年吉田郡山城からここに移り,中国地方9ヵ国にまたがる大領国を支配する拠点と定めたのがその起りである。関ヶ原の戦後,毛利氏が周防,長門2国に削封されて去ったあと,広島城に入ったのは安芸,備後両国を領した福島正則である。福島氏は1601年(慶長6)検地を行い,さらに新開造成も加わり,毛利時代には両国で40万石余であったのが52万石余に増加し,17年(元和3)将軍徳川秀忠の朱印状では49万8000余石とある。…
…【松岡 久人】
【近世】
[藩領の成立と推移]
豊臣政権のもとでも中国地方9ヵ国を領有した毛利輝元は,1600年(慶長5)関ヶ原の戦に敗北し,防長両国へ移封された。芸備両国へは福島正則が入封して広島藩万石が成立し,幕藩体制が強力に推進された。正則は領国経営のため,広島のほか備後の三原,鞆,三次,東城,神辺の各地に家臣団を配置して支配を固めるとともに,翌01年領内に太閤検地の原則に基づく惣検地を実施し,惣百姓(名請百姓)による年貢村請(むらうけ)制を実現した。…
※「福島正則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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