千田軍之助(読み)センダ グンノスケ

20世紀日本人名事典 「千田軍之助」の解説

千田 軍之助
センダ グンノスケ

江戸時代末期〜大正期の衆院議員(政友会)



生年
安政3年2月(1856年)

没年
大正3(1914)年3月2日

出身地
紀伊那賀郡長田村(和歌山県)

経歴
明治19年和歌山県那賀郡の自由民権会を組織、紀陽新聞を発刊。27年以来和歌山県から衆院議員当選4回、政友会に属し、院内幹事、協議員を務めた。農民の福利増進に努め、紀勢縦貫鉄道の建設尽力。また私立猛山学校を設立、子弟育成にも貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「千田軍之助」の解説

千田 軍之助
センダ グンノスケ


生年月日
安政3年2月(1856年)

出身地
紀伊国那賀郡長田村(和歌山県)

経歴
明治19年和歌山県那賀郡の自由民権会を組織、紀陽新聞を発刊。27年以来和歌山県から衆院議員当選4回、政友会に属し、院内幹事、協議員を務めた。農民の福利増進に努め、紀勢縦貫鉄道の建設に尽力。また私立猛山学校を設立、子弟育成にも貢献した。

没年月日
大正3年3月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千田軍之助」の解説

千田軍之助 せんだ-ぐんのすけ

1856-1914 明治-大正時代の政治家。
安政3年2月生まれ。明治9年和歌山県の地租改正反対運動を児玉仲児らと主導した。県の学務課長をつとめ,私学猛山学校を設立。19年那賀郡自由民権会を組織,のち「紀陽新聞」の主筆となる。27年衆議院議員(当選4回,政友会)。大正3年3月2日死去。59歳。紀伊(きい)那賀郡(和歌山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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