千石堀城跡(読み)せんごくぼりじようあと

日本歴史地名大系 「千石堀城跡」の解説

千石堀城跡
せんごくぼりじようあと

[現在地名]貝塚市橋本

積善寺しやくぜんじ城跡の南東約一・五キロ、標高約七〇メートルの丘陵上にあり、東西約六〇メートル・南北約二〇メートル。周囲に空堀があり、また点在する池が堀の役を果していた。積善寺城の支城の役割をもっていたといわれ、水間みずま街道・熊野街道を俯瞰する地にある。天正一三年(一五八五)三月、豊臣秀吉軍の根来衆・雑賀衆攻めのとき、根来衆が拠って鉄砲防戦を試みたが、同月二一日に秀吉軍の攻撃を受けて落城、双方に多数の死傷者を出し、城は放火されたという(甫庵太閤記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む