日本歴史地名大系 「千福新村」の解説 千福新村せんぶくしんむら 富山県:東礪波郡城端町千福新村[現在地名]城端町千福立野(たての)ヶ原(はら)丘陵の東に位置し、南は塔尾(とうのお)村、北は金戸(かねと)村、東は野口(のぐち)村。約二キロ上流の山田(やまだ)川から崖縁を蛇行して通る手掘りの岩盤隧道で水を引き、開拓したと伝える。村名は千福野という原野を新開したのでつけられた(「加越能御絵図覚書」石川県金沢市立図書館蔵)。出来新村・退転村記申帳によれば、寛文一一年(一六七一)の成立という。当時の草高は二一一石余、免三ツ、享保八年(一七二三)には高五六一石余となる(三箇国高物成帳)。文政八年(一八二五)能美組、天保一〇年(一八三九)以降山田組に属した。嘉永六年(一八五三)の村鑑帳(菊池家文書)では家数四〇・人数二一七(男一〇八・女一〇九)、馬七、おもな稼は日用・杪柴・苧・蚕など。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報