20世紀日本人名事典 「千葉クラ」の解説
千葉 クラ
チバ クラ
明治〜昭和期の教育者 八戸千葉裁縫女学校校長。
- 生年
- 明治9年1月22日(1876年)
- 没年
- 昭和10(1935)年1月20日
- 出生地
- 青森県八戸
- 旧姓(旧名)
- 松岡
- 学歴〔年〕
- 牛込女学校卒
- 経歴
- 姉の羽仁もと子(のちの自由学園の創立者)を頼って上京し、牛込女学校に学ぶ。同卒業後、帰郷して医師の原大一郎と結婚し、明治37年より千葉姓を名乗った。41年に洗礼を受けてキリスト教徒となり、43年八戸浸礼教会の敷地内に八戸女塾を開設。同塾ははじめ裁縫や手芸を教えたが、のちにはアメリカ帰りの弟・松岡八郎が英語を担当し、その他に国語や書道・修身なども教えるようになった。大正3年校舎移転に伴って校名を八戸裁縫講習所とし、次いで12年には青森県知事の認可を受けて私立千葉裁縫女塾に改称。さらに昭和5年実業学校令により八戸千葉裁縫女学校に改組し、その初代校長となった。一貫してキリスト教的信愛の精神を教育の柱とし、現在の千葉学園の基礎を築いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報