朝日日本歴史人物事典 「半井明親」の解説
半井明親
生年:生年不詳
室町後期の医者。典薬頭利長の嗣子。幼名は与十郎,名は明親,のち後柏原天皇より紫纓(冠のひも)を賜り貞長と改めた。通称は驢庵(初代),号は蘭軒のち春蘭軒。宮内大輔に任ぜられ,永正年間(1504~21)明に渡り武宗帝の病を治し銅硯1面,驢馬2頭を賜る。また親交のあった熊宗立から神農像,銅人形を贈られ,帰国後驢馬1頭を天皇に献上。常に驢馬に乗って明の官服で参内を許されたことから驢庵の称を賜った。子孫も驢庵の称を襲した。室町幕府8代将軍足利義政の執奏により天皇から金地裏菊御紋付の中啓扇子を拝領,口宣あってこれを家紋とした。京都で没し,大徳寺真珠庵に葬られた。<参考文献>石野瑛「大医和気・半井家系の研究」(『中外医事新報』1247号)
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報