改訂新版 世界大百科事典 「アンリ2世様式」の意味・わかりやすい解説
アンリ2世様式 (アンリにせいようしき)
アンリ2世の統治期(1547-59)を中心として16世紀後半から17世紀初頭にかけて開花したフランス美術の様式。前代のフォンテンブロー派(第1次)が,プリマティッチョをはじめ多くのイタリア人芸術家の主導下に華麗な装飾性を示したのに対して,その影響は持続してはいたが,アンリ2世と周辺の芸術家たちはイタリア人を招かず,フランスの独自性に基づいて簡潔・優雅なフランス古典主義を確立しようとした。当時のイタリアは,マニエリスムの絶頂期にあったが,アンリ2世とその芸術家が指向したのは,むしろイタリア・ルネサンスの古典期であり,その様式であった。この時期の主要な建築家P.ドロルムが建築論を執筆し,彫刻家J.グージョンが,ウィトルウィウスの《建築十書》のフランス語訳に挿絵を描いていることからもわかるように,芸術家たちは,まず何よりも理論家であろうとしていた。建築では,この傾向は,すでにフランソア1世の時代に図面が引かれ王の死後に着工されたP.レスコによるルーブル宮殿の造営にあらわれる。ここでは,明快な線で構成され,コリント式の二重周柱式を採用した様式となり,グージョンの彫刻もそれに適合している。グージョンは,《イノサンの泉》(1547-49)その他でも,古典ギリシア彫刻の形態を借用し,同時代のイタリア彫刻が古代ローマ彫刻を参照したことと対照的である。ドロルムの作品も,建築を装飾様式としてでなく,比例および構成として構想し,フランス古典主義様式の確立に寄与している。絵画では,ジャンおよびフランソア・クルーエ父子による肖像画が同じ役割を果たしている。室内装飾,家具にも,直線,平行線,ギリシア風オーダーを用いた様式が行われ,陶器ではアンリ2世陶器(サン・ポルシェール窯)の制作,衣装ではフランソア1世時代に比べてはるかに単純化され優雅になっていることが指摘される。
執筆者:中山 公男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報