シュマルカルデン同盟(読み)シュマルカルデンどうめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュマルカルデン同盟」の意味・わかりやすい解説

シュマルカルデン同盟
シュマルカルデンどうめい
Schmalkaldischer Bund

宗教改革時代のドイツにおけるプロテスタント諸侯,帝国都市の防御同盟。 1530年のアウクスブルク帝国会議ののち,プロテスタント諸侯が皇帝側の勢力からプロテスタントと没収教会領とを守るために翌 31年2月結成した同盟で,その中心となったのはフィリップ・フォン・ヘッセンとザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒである。諸侯のほか,マクデブルク,ブレーメン両市と若干の南ドイツ都市も参加した。皇帝が宗教上の理由から攻撃を加えてきた場合,帝国等族には武力で対抗する権利があるという M.ルターの主張を理論的基盤とする。神聖ローマ皇帝カルル5世は,イタリアをめぐるフランスとの戦争やオスマン帝国の脅威のため,長らくプロテスタントに対し宥和策をとったが,フランスとの間に和約を結んで攻勢に転じ,47年ミュールベルクの戦いでプロテスタント諸侯を敗北させてからは,同盟は事実上瓦解した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュマルカルデン同盟」の意味・わかりやすい解説

シュマルカルデン同盟
しゅまるかるでんどうめい

宗教改革時代にドイツの新教派諸侯、帝国都市が結んだ同盟。神聖ローマ皇帝カール5世が1529年のシュパイエル国会で新教の容認を拒否し、30年のアウクスブルク国会で新教派の「アウクスブルク信仰告白」をも否認すると、31年新教派諸侯、帝国都市は、ザクセン選帝侯、ヘッセン地方伯を指導者として中部ドイツのシュマルカルデンSchmalkaldenに同盟し、信仰のために圧迫を受けた場合の相互援助を約した。同盟はフランス、イギリス、デンマークにも援助を受けるために働きかけ、国内でも加盟する諸侯、都市が増大したが、内部に対立があり、46年カール5世により起こされた同盟制圧のためのシュマルカルデン戦争(~1547)で皇帝派に敗北し、瓦解(がかい)した。

[中村賢二郎]

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