半谷村
はんやむら
[現在地名]岩井市半谷
沓掛村(現猿島郡猿島町)の西に所在。南は冨田村。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「とみたの郷」内に「はんかや」がみえ、冨田郷に属したものと思われる。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)にも「とミ田・半谷 芳春院」とある(→冨田村)。
近世を通して下総関宿藩領で、猿島郡上郷に属した。明和六年(一七六九)の差出書覚帳(木村家文書)によれば村域は東西三一町五三間・南北一五町四〇間、村高四四九・一九七石。
半谷村
はんやむら
[現在地名]下妻市半谷
台地上にあり、東は大木村、西は赤須村。室町中期以降は多賀谷氏が支配したが、慶長七年(一六〇二)天領となり、のち旗本領も加わる。元禄郷帳の村高は七六四石余、幕末は天領二八九石余、旗本井上氏領五〇〇石、南当郷村普門寺領八石余、同高福寺領三石、西当郷村金林寺領七石、江村神明社除地四石、尻手村文殊院除地二石(各村旧高簿)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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