日本歴史地名大系 「岩井市」の解説 岩井市いわいし 面積:九一・四六平方キロ県南西部、利根川流域に位置。利根川対岸は千葉県。東西約一二・五キロ、南北約一五・八キロ。平将門の遺業の地として知られる。市域の大半は猿島(さしま)台地の一部を形成し、概して標高二〇メートル以下の台地に狭小な低地が入込み、そこが穀倉地帯となっている。北東部は飯沼新田(いいぬましんでん)の一部で、東端を用排水路の東仁連(ひがしにれ)川が流れ、飯沼新田からは飯沼川が幸田(こうだ)・神田山(かどやま)地区を貫通して菅生(すがお)沼を経て利根川に注ぎ、飯沼新田から派生するヤトが北東部に延びている。南東部には菅生沼があり、上流および枝ヤトが中央部まで入込む。さらに西部の鵠戸(くぐいど)沼のヤトも内部に延びる。西・南辺を流れる利根川は瀬替えや改修を経て今日の姿になり、市の発展に複雑な要素を与えてきた。台地部は中央の市街地を除き畑地で、東京から五〇キロという地理的条件から近年は蔬菜栽培が進んでいるが、まだ平地林も多く恵まれた自然環境を残している。イワイの地名は「和名抄」下総国嶋(さしま)郡に石井(いわい)郷があり、「将門記」に「将門ガ石井ノ営所」、「扶桑略記」天慶二年(九三九)一二月一五日条に「下総国猿嶋郡石井郷」がみえる。「岩井」と書くようになった時期は明確でないが、江戸時代以降は「岩井」が使用されている。〔原始・古代〕縄文遺跡には菅生沼とその枝ヤトに臨む台地上の高崎台地(たかさきだいち)遺跡・矢作(やはぎ)貝塚・法師戸(ほうしど)貝塚、利根川・鵠戸沼とその枝ヤトの台地上では拾二(じゆうに)ゴゼ貝塚・鵠戸遺跡・寺久(てらく)遺跡、飯沼とその枝ヤトの台地上では中(なか)ノ台(だい)遺跡・平八新田(へいはちしんでん)貝塚・弓田(ゆだ)貝塚・駒寄(こまよせ)貝塚、東仁連川西岸の東浦(ひがしうら)遺跡などがあり、土器および打製石斧・石匙・石鏃・骨角器などが出土。弥生遺跡としては各地域に住居跡があり、断片的な遺物が出土している。菅生沼上流ヤトの富田(とみた)遺跡からは典型的な弥生土器、大崎(おおさき)遺跡からは祭祀用の小皿が出土している。古墳は各地域の台地に存在し、上出島(かみいずしま)古墳・高山(たかやま)古墳のほか菅生沼と枝ヤトの台地に榊山(さかきやま)古墳群・辺田(へた)古墳群・経塚(きようづか)古墳・神田山古墳群・房地塚(ぼうちづか)古墳・中里(なかざと)古墳群・矢作古墳群など、飯沼周辺では馬立(またて)古墳群・駒寄塚古墳、利根川・鵠戸沼付近の台地に三ッ塚(みつづか)古墳群・大明神塚(だいみようじんづか)古墳・鵠戸古墳群・舟戸(ふなと)古墳・宿(しゆく)古墳・阿弥陀塚(あみだづか)古墳などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by