日本歴史地名大系 「南ノ庄村」の解説 南ノ庄村みなみのしようむら 奈良県:山辺郡都村南ノ庄村[現在地名]都村大字南之庄(みなみのしよう)甲(こう)ノ岡(おか)村の南に位置する。当地では「みなんのしょう」という。慶長郷帳の村高は四八二・三五二石。慶長・元和両郷帳では村高を折半して、旗本庄田安信と旗本赤井忠泰が支配している。寛永郷帳では村高は変わらないが、うち二五七・一八六石は庄田氏領、二二五・一六六石は赤井氏領となっている。 南ノ庄村みなみのしようむら 奈良県:奈良市柳生・田原地区南ノ庄村[現在地名]奈良市南ノ庄町北(きた)村南方にある。慶長郷帳の村高は三五三・九四石。御番衆領から元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領。のち同藩の二割半無地高増政策により村高は四〇四・八石となる。延宝七年(一六七九)幕府領となる。天和二年(一六八二)古河藩(堀田正俊)領となり、貞享二年(一六八五)再び幕府領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報