水野勝成(読み)みずの・かつなり

朝日日本歴史人物事典 「水野勝成」の解説

水野勝成

没年:慶安4.3.15(1651.5.4)
生年永禄7(1564)
江戸前期の備後国福山藩(福山市)藩主三河国(愛知県)生まれ。通称は幼名国松,藤十郎,のち六左衛門。日向守に任ぜられる。父は忠重。母は都筑吉豊の娘。幼少より徳川家康に仕え,多くの功をあげたが,父と不和となり,各地を流浪豊臣秀吉死後,家康仲裁により和解。慶長5(1600)年父の遺領三河国刈谷3万石を継ぐ。元和1(1615)年の大坂の陣での戦功を認められ,大和国郡山6万石に転じた。5年に福山に転じ10万石を領す。福山は勝成が新たに開いた城下町であり,整備に努めた。島原の乱(1637)にも出兵し原城を落城させるなど歴戦勇士で,「鬼日向」と恐れられた。寛永16(1639)年に隠居

(小柴良介)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野勝成」の解説

水野勝成 みずの-かつなり

1564-1651 江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)7年8月15日生まれ。水野忠重長男。父に勘当され諸国を遊歴,徳川家康のとりなしで三河(愛知県)刈谷(かりや)の遺領をつぐ。大坂の陣の功で大和(奈良県)郡山6万石藩主。元和(げんな)5年備後(びんご)(広島県)福山藩主水野家初代となる。10万石。城下町をひらき,殖産につとめて藩政の基礎をきずいた。慶安4年3月15日死去。88歳。通称は六左衛門。

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367日誕生日大事典 「水野勝成」の解説

水野勝成 (みずのかつなり)

生年月日:1564年8月15日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1651年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の水野勝成の言及

【鞆】より

… 鞆には公式海駅がおかれ,幕府使臣をはじめ,諸大名,朝鮮通信使らの往来に備えて諸施設が整えられた。福島正則は中世の大可島城とは別に,3層の天守をもつ鞆城を築いて城番をおいたが1615年(元和1)の一国一城令で廃棄され,正則改易ののち福山に入部した水野勝成は鞆に長子勝俊を配した。39年(寛永16)鞆奉行を置いて,鞆在番衆や鞆目付を常駐させた。…

【福山[市]】より

…【藤原 健蔵】
[福山城下]
 水野氏,松平氏,阿部氏など福山藩万石の城下町。芸備両国を領した福島正則改易のあとをうけて1619年(元和5)備後に入封した譜代の水野勝成(かつなり)は,3ヵ年をかけて深津郡野上村の常興寺山に福山城(久松城,葦陽城ともいう)を築き,芦田川河口の一面干潟の葭原に城下町を建設した。福山城は近世最後に築城された城であり,幕府と水野氏との特別の関係から幕府より2万0200両を貸与され,伏見城遺構の伏見御殿,伏見櫓,大手門,筋鉄(すじがね)御門などを下賜されている。…

【福山藩】より

…領知高10万石。1619年(元和5)芸備両国を領していた福島正則改易のあと,水野勝成(かつなり)が大和国郡山から入封して成立。備後7郡と備中国小田,後月(しづき)郡の一部を領有した。…

【水野氏】より

…尾張国の土豪,江戸時代の譜代大名(図)。先祖は多田満仲の弟満政とされ,重房のとき尾張国知多郡小河村に住して小河氏を称し,のち春日井郡水野に移って水野氏と改めたという。1487年(長享1)に没した貞守が三河国刈屋に城を築き,その後は代々刈屋・小河両城を本拠とした。天文期(1532‐55)に活躍した忠政の女於大の方(伝通院)は同国岡崎の松平広忠に嫁して徳川家康を生んだが,水野氏が松平氏と敵対する織田氏にくみしたので離別された。…

※「水野勝成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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