朝日日本歴史人物事典 「水野勝成」の解説
水野勝成
生年:永禄7(1564)
江戸前期の備後国福山藩(福山市)藩主。三河国(愛知県)生まれ。通称は幼名国松,藤十郎,のち六左衛門。日向守に任ぜられる。父は忠重。母は都筑吉豊の娘。幼少より徳川家康に仕え,多くの功をあげたが,父と不和となり,各地を流浪。豊臣秀吉の死後,家康の仲裁により和解。慶長5(1600)年父の遺領三河国刈谷3万石を継ぐ。元和1(1615)年の大坂の陣での戦功を認められ,大和国郡山6万石に転じた。5年に福山に転じ10万石を領す。福山は勝成が新たに開いた城下町であり,整備に努めた。島原の乱(1637)にも出兵し原城を落城させるなど歴戦の勇士で,「鬼日向」と恐れられた。寛永16(1639)年に隠居。
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報