南北条庄(読み)なんぼくじようのしよう

日本歴史地名大系 「南北条庄」の解説

南北条庄
なんぼくじようのしよう

遺称地・訓も判明しない。しかし豊原とよはら庄加納であること、河川氾濫を度々被っていること、河口かわぐち(現岡山市)史料にみえることなどから、同庄の西から吉井川左岸一帯に推定される。建久六年(一一九五)五月七日の官宣旨案(堂本四郎氏所蔵文書)に「南北条」とみえ、もとは豊原庄加納で半不輸の地であったが、潮損のため常々荒野であったという。同庄の領主小槻行隆は、奈良東大寺長官として治承四年(一一八〇)平重衡によって焼失した同寺復興に当たっていたため、国衙領の内であるが半不輸となっていた豊原庄加納の南北条を、東大寺仏餉灯油料として寄進した。文治元年(一一八五)か二年に国務平頼盛より田租免除の庁宣を下され、東大寺は大量の奉加米を種子農料に充てて、潮堤を築き荒野を開発したという。そして建久六年四月六日に東大寺大勧進重源は立券を申請し、五月七日認められ庄園となった(以上前掲官宣旨案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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