南堀端(読み)みなみほりばた

日本歴史地名大系 「南堀端」の解説

南堀端
みなみほりばた

[現在地名]津市丸之内まるのうち西丸之内にしまるのうち南丸之内みなみまるのうち

外堀を隔てて丸之内の南側に並ぶ町筋。堀を前にした南側片側だけの武家屋敷町。南側を岩田いわた川が流れる。中世には安濃あのう川の分流刑部おしかべ村・古川ふるかわ村を経て、斜めに後ろの南外堀を流れぼら堀付近で岩田川と合流していた。藤堂高虎は城下町修築の際、岩田川の中島なかじま寄りを掘立て、合流点の川中に長堤(鯔堀堤)を築き岩田橋と結んだ。のち長堤東端の岩田口に釘貫門を設け、岩田口番所とした。「秘覚集」に「岩田口、勢州外輪釘貫の事、寛文八年相済、同岩田橋の南川端に在之町屋敷取り跡に駒寄せをし、橋北の方に在之町屋を番に被成度御願、延宝元年六月済」とある。岩田口番所は延宝三年(一六七五)にでき、同集に「岩田口辻番は往還大事の処に付、仁右衛門組の者四人宛相詰め、事ある時は木戸を打ち、侍町へ走り込み不申様に心懸け可申事」とあるような状況で警備された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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