南奉公人町(読み)みなみほうこうにんまち

日本歴史地名大系 「南奉公人町」の解説

南奉公人町
みなみほうこうにんまち

[現在地名]高知市かみ町一―五丁目

とおり町の南側に並行する両側町。もとうち町と称されていたが、慶安二年(一六四九)九月町割をして奉公人を集住させたので、この町名がつけられたという。寛文九年(一六六九)の城下町絵図に町名がみえる。江戸時代中期の「高知風土記」によると東西四〇〇間、南北三〇間、家数一九一。

天保一二年(一八四一)の城下町絵図によると、町の南側を上町の西端観音堂に向かって堤防が築かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報