デジタル大辞泉
「水天宮」の意味・読み・例文・類語
すいてん‐ぐう【水天宮】
福岡県久留米市にある神社。全国水天宮の総本社。祭神は天御中主神・安徳天皇・建礼門院・平時子。水の守護神として、また、安産・水難よけの神として知られる。
東京都中央区にある神社。文政元年(1818)、久留米藩主有馬頼徳が藩邸に久留米の水天宮の遥拝所を設けたのに始まる。明治5年(1872)現在地に移転。水の守護神、安産の神として知られる。
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すいてん‐ぐう【水天宮】
- [ 一 ] 福岡県久留米市瀬下町にある神社。旧県社。祭神は天之御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院)・平二位時子(清盛の妻)。全国の水天宮の総本宮。水徳の神として、また、安産、水難除の神として知られる。
- [ 二 ] 東京都中央区日本橋蛎殻町にある神社。祭神は[ 一 ]に同じ。文政元年(一八一八)久留米藩主有馬頼徳が江戸三田の藩邸内に勧請(かんじょう)し、明治五年(一八七二)現社地に遷座。東京水天宮。
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水天宮
すいてんぐう
[現在地名]小樽市相生町
小樽港を望む小高い丘陵上に鎮座。旧郷社。祭神は弥津波能売神・保食神・伊邪那岐神・伊邪那美神。一八五九年(安政六年)一〇月当地に祀られた小祠を前身とする。六一年(文久元年)一月神祇管領長上吉田家より証書を得、同年四月二七日箱館八幡宮神主菊池重賢の執祭により同小祠への水天宮の遷宮が行われた。願主はヲタルナイ場所詰箱館奉行支配定役宇津木頼母、同場所請負人岡田半兵衛ら(「箱館八幡宮神社調子書上」神道大系神社編)。明治二七年(一八九四)四月の大風で社殿が損壊、同三三年四月に再建(小樽市史)。
水天宮
すいてんぐう
霞ヶ浦に注ぐ川口川(旧桜川)左岸にある。祭神は安徳天皇・建礼門院平徳子・平時子・天之御中主神。天保一一年(一八四〇)久留米城(現福岡県)城主有馬頼徳の三女竹姫が土浦城主土屋寅直に嫁した時に、守本尊として久留米水天宮の分霊を奉持し、土屋邸内に祀ったのが初めで、その後小松の新邸へ移り、さらに昭和三三年(一九五八)七月五日に現在地へ遷座した。
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水天宮 (すいてんぐう)
水神信仰,母子神信仰に基づく神社であるが,なかでも,福岡県久留米市,東京都中央区,北海道小樽市などに鎮座する神社が著名。久留米のは同市瀬下町にあり,祭神は安徳天皇,建礼門院,二位尼(平時子),天御中主神。旧県社。例祭は5月5~7日で川祭,河童祭ともいう。源平合戦で平家が敗れたのち,女官按察使伊勢局(あぜちいせのつぼね)がこの地に逃れ来り,筑後川のほとり鷺野原(さぎのはら)に安徳天皇などの霊をまつったのに始まると伝える。以後筑後川の水神として霊験あらたかで,安産の神としても著名となる。《筑後誌》によると,1650年(慶安3)に現在地に移る前は江南山海林寺の山上にあり,山下に神池があったという。もと御霊(ごりよう)系統の母子神をまつる霊場で,そこへ密教修法としての水天供(すいてんぐ)を修するならわしがあったことに基づいて成立したのであろう。水難よけと安産祈願との神徳から,久留米藩主有馬氏の崇敬も厚く,1818年(文政1)には江戸の芝赤羽の藩邸に勧請し,付近住民にもその信仰は広まった。明治維新後,藩邸の上地とともに一時赤坂に移され,72年(明治5)今の日本橋蠣殻(かきがら)町の地に移り,78年からは一般の参拝もなされる神社として公認された。祭神も例祭日も久留米の社とほぼ同じだが,安産のまじないとして戌(いぬ)の日に腹帯を頒けるのが東京の市民に広く喧伝され,その日は大いににぎわった。また毎月5日の縁日には,門前から人形町にかけての道筋は都下有数のにぎわいをみせる。河竹黙阿弥作の歌舞伎狂言《水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)》はここを背景としたもの。小樽市相生町のは1859年(安政6)の創建で,市の中央部の眺めのよい山上にあるが,主祭神弥津波能売(みづはのめ)神であるから,水神信仰に基づいているのは明らかである。
執筆者:萩原 龍夫
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水天宮(福岡県)
すいてんぐう
福岡県久留米(くるめ)市瀬下町(せのしたまち)に鎮座。天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳(あんとく)天皇、高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)、平二位時子(ときこ)を祀(まつ)る。すなわち、万物創造の神であり、また水の根源神と信仰しての天御中主神と、1185年(元暦2)3月壇之浦に入水(じゅすい)した安徳天皇、その母高倉天皇の中宮建礼門院(けんれいもんいん)、その祖母二位尼(にいのあま)平時子(清盛妻)を祀る。壇ノ浦の戦いで敗れたあと、建礼門院に仕えていた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢(いせ)が筑後川(ちくごがわ)鷺野原(さぎのはら)に逃れ、4柱を奉斎したのが本社の起源で、のち伊勢は剃髪(ていはつ)して名を千代と改め、里人のため加持祈祷(かじきとう)をしたことより、尼御前社(あまごぜんのやしろ)とよばれた。のち戦禍を避けて諸所に遷座、近世初頭現在の久留米市新町に遷(うつ)り、さらに1650年(慶安3)藩主有馬忠頼(ただより)により現在地に社殿造営遷座された。一般に、安産・水難・火難また子供の守護神として広く崇敬される。例祭5月5、6、7日、夏大祭8月5、6、7日。明治維新の先覚者真木和泉(まきいずみ)(保臣(やすおみ))は本社の第22代の祠官(しかん)である。東京水天宮(中央区日本橋蠣殻(かきがら)町)は、1818年(文政1)有馬頼徳(ありまよりのり)が江戸藩邸内に本社を勧請(かんじょう)したのを起源とする。
[鎌田純一]
水天宮(東京都)
すいてんぐう
東京都中央区日本橋蠣殻(かきがら)町に鎮座。祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳(あんとく)天皇、建礼門院(けんれいもんいん)。1818年(文政1)久留米(くるめ)藩主有馬頼徳(ありまよりのり)が三田赤羽(みたあかばね)(東京都港区)の藩邸内に久留米水天宮の遙拝所(ようはいじょ)を設け、明治維新後は有馬家とともに青山に移り、1872年(明治5)現在地に移った。江戸市中の流行神、水神としての利益(りやく)のほか安産祈願の神として根強い信仰がある。例祭日は5月5日。毎月の1、5、15日は縁日にあたり参詣(さんけい)者が多い。
[岡田荘司]
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水天宮【すいてんぐう】
(1)福岡県久留米市瀬下町に鎮座。旧県社。天御中主(あめのみなかぬし)神・安徳天皇・建礼門院・平時子をまつる。1185年建礼門院に仕えた伊勢が平家没落後,その霊をまつったのに由来するという。1650年久留米藩主有馬忠頼が社地・社殿を寄進した。全国各地の水天宮の総本社で,安産・水難よけの信仰が厚い。例祭5月5〜7日。夏大祭(8月5日,河童(かっぱ)祭)など。(2)東京都中央区日本橋蛎殻(かきがら)町に鎮座。旧無格社。(1)の摂社。1818年有馬頼徳が江戸藩邸内に建てた分社に由来。1872年有馬屋敷の移転とともに現在地に建てられた。例祭は5月5日。花柳界での信仰厚く,巣鴨のとげぬき地蔵,虎ノ門の金刀比羅(ことひら)宮と並んで,三大縁日の一つ。
→関連項目中央[区]|人形町
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水天宮〔東京都〕
東京都中央区にある神社。1818年、久留米藩主有馬頼徳が、芝赤羽根橋の上屋敷内に久留米の水天宮から分霊を勧請したことが起源。1872年より現在地。天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)を主祭神に、安徳天皇、建礼門院、二位尼(にいのあま)を祀る。安産祈願、子授けの神様として知られ、戌の日には多くの参拝客が訪れる。
水天宮〔福岡県〕
福岡県久留米市にある神社。祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、建礼門院、二位の尼(平時子)。源平の合戦後、鷺野ヶ原に落ち延びた平家の女官が、壇ノ浦で入水した安徳天皇らの霊を祀ったのが起源と伝わる。全国の水天宮総本宮。安産、水難除け、子供の神として知られる。
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水天宮
すいてんぐう
水神または水神と関係のある神を祀る神社。福岡県久留米市にある水天宮は,元県社で全国の水天宮の総本社。祭神はアメノミナカヌシノカミ,安徳天皇,建礼門院,二位時子。慶安年間 (1648~52) 頃の建立といわれ,船の守護神,安産,水難よけの神として知られる。例祭5月5~7日,8月5~7日。東京の水天宮はその分社。
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水天宮
(通称)
すいてんぐう
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 水天宮利生深川
- 初演
- 明治18.2(東京・千歳座)
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