日本歴史地名大系 「南安東村」の解説 南安東村みなみあんどうむら 静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区南安東村[現在地名]静岡市東町(あずまちよう)・太田町(おおたまち)・音羽町(おとわちよう)・森下町(もりしたちよう)・曲金(まがりかね)一丁目・春日(かすが)一―三丁目・春日町・瓦場町(かわらばちよう)・豊原町(とよはらちよう)・南町(みなみちよう)・黒金町(くろがねちよう)・日出町(ひのでちよう)・大和(やまと)一―二丁目・さつき町(ちよう)谷津(やつ)山の南、八幡(やはた)山の北に位置し、西は駿府城下の東端、南は稲川(いながわ)村・八幡村に接する。村の北東端を東海道が通る。地名は阿倍(あべ)市の東西を安東・安西(あんざい)といい、その南にあるとする説や(駿河志料)、安倍川の東に位置していることから安東の地名が生じ、さらに南北二ヵ村に分れたとする説がある(駿国雑志)。永正六年(一五〇九)九月六日の今川氏親判物写(駿河志料)によると、氏親の家臣斎藤安元の窪道場屋敷が宝樹(ほうじゆ)院に安堵されており、その割書に「南安東之内三御前二段、小西地替」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by