豊原町(読み)とよはらちよう

日本歴史地名大系 「豊原町」の解説

豊原町
とよはらちよう

[現在地名]和歌山市豊原丁一―四丁目

みぞノ町の南にある横町。寛政城下町絵図では両側武家屋敷が並び、東奥の北側に大泉だいせん寺・延寿えんじゆ院がある。通り南側の四本の縦通りはしん堀北側まで続くがいずれも武家屋敷地で、和歌道わかみち筋東側が玉藻たまも(現玉藻丁一―二丁目)、その東が苫屋とまや(現苫屋丁一―三丁目)、その東が中橋筋なかばしすじ、その東が大泉寺町(現大泉寺丁)で、古くは大泉寺新地だいせんじしんちとよばれた。中橋筋南端には新堀中橋があった。

曹洞宗曹源山大泉寺は慶長五年(一六〇〇)甲州大泉寺九世陽山が浅野氏に従って車坂くるまざかに一寺を建立し、寺領二一石を寄付されて菩提寺となり、同一八年には幸長を同寺に葬っている(二〇年に高野山に改葬)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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