南小路支石墓
みなみしようじしせきぼ
[現在地名]大和町大字尼寺字南小路
北には背振山の一峰である標高五〇一・八メートルの金立山がそびえ、標高一〇メートル余りのところに位置する遺跡。弥生時代前期末の支石墓である。
個人の宅地内にあって、昭和四九年(一九七四)火災の後始末の際、甕棺が発見されたという。同年、応急調査を実施(「背振山脈山麓で初めて発見された大和町南小路支石墓」新郷土・昭和四九年四月)。
支石墓の上石は、現地表面と同じレベルの所にあって、大きさは縦横三・二と二・四メートルの楕円形に近い平面形を呈し、厚さは四五センチ前後で扁平な花崗岩の巨石である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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