支石墓(読み)シセキボ

精選版 日本国語大辞典 「支石墓」の意味・読み・例文・類語

しせき‐ぼ【支石墓】

  1. 〘 名詞 〙 新石器時代末から鉄器時代初期の巨石墳墓の一つ。中国の東北地方東南部から朝鮮半島北部に分布し、日本では縄文時代後期から彌生時代前・中期に九州北部を中心にこの種の遺跡がみられる。巨石記念物中のドルメンに相当する。

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改訂新版 世界大百科事典 「支石墓」の意味・わかりやすい解説

支石墓 (しせきぼ)

新石器時代から初期鉄器時代にかけて世界的に分布する巨石墳墓の一種。フランス北西部に数多く知られた,この種の墳墓に対して,ブルトン語で卓または机と石をそれぞれ意味する,ドルメンdolmenの訳語として一般に行われている。ドルメンの語義が示すように,ふつう4個ないし6個の支石(撑石)を立てて方形の墓室をつくり,その上に1枚の巨石を置いたものをいうが,時代や地域によって墓室の構造は多様である。巨岩上石は,地上に露出しているので,あたかも墓標のような役割も果たすが,原則として封土はみられない。イギリスやフランスでは,横穴式石室墳や巨石で構築した石室墳までドルメンと呼ばれることがあるが,それは転化であって,もともとの意味ではない。支石墓は,ヨーロッパ北・西部,地中海沿岸から小アジア,インド南部,東南アジア,アメリカ,そして東アジアと広範囲に分布するが,それら相互の間に因果関係がすべてあるわけではない。東アジアにおいては朝鮮半島で顕著に発達したが,中国大陸や日本列島にも分布する。

 中国では長江揚子江)下流域のわずかな例を除くと,東北地方(旧,満州)に比較的多い。東北地方では1982年までに33遺跡60基が知られ,遼河以東の吉林省南部から遼東半島にかけて,おもに丘陵地帯に分布する。ここでは,花コウ岩に加工を施した巨石で,地表に墓室をつくり,上石をかぶせたテーブル形(卓子形。北方式)が多いが,花コウ岩の自然石を利用して,地下に小さな墓室をつくって,上石を載せるという形式も認められる。支石墓の内部からときどき人骨片が出土するが,副葬品は少なく,まれに土器,磨製石鏃,多頭石斧,紡錘車などが検出される程度である。年代に関しては,ほぼ春秋時代並行期とする考え方がある。

 朝鮮半島では,無文土器(青銅器)時代の代表的墳墓の一つに数えられる。咸鏡北道など一部の地域を除いて,ほぼ全道に分布している。支石墓の形態や構造も複雑で,地上に4枚の板石を立て,平面を長方形の箱形に組み合わせた石棺に巨大な板石で上石をかぶせた,いわゆるテーブル形は北部地方に多い。同形式のものが,前述のとおり,中国の東北地方に多く分布するところから,朝鮮の支石墓の起源は中国東北地方に求められよう。そして,地上には巨石だけが目立ち,地下に埋葬施設をつくる,いわゆる碁盤形式は南部地方に多い(南方式)。地下の埋葬施設には,石棺,石室,土壙などがある。そのほか,いくつかの埋葬施設とその周辺の積石が連接して,一定の墓域をなしている場合や,さらにそこに巨石を標識的に置く場合などもまれには認められる。朝鮮では,全体的な傾向として,地上に高く威容を示すテーブル形(北方式)が古く,それがそのまま地下に入るようになった碁盤形が新しい。支石墓の内部からは,ときどき磨製の石剣や石鏃などが出土するが,無文土器や銅剣はきわめてまれにしか見つからない。テーブル形は規模が大きく,また,数量も少ないので,そこに集落内部でも特定の被葬者を想定できようが,碁盤形は小規模化するとともに,数量も膨大なものになり,その背後に築造者の階層が広範化したことがうかがえる。朝鮮の支石墓は日本に伝播し,縄文時代晩期後半から弥生時代中期中葉にかけて,北西部九州を中心に,一部は南部九州にまで分布する。その数は,中国東北地方のそれをはるかに凌駕する。

 日本の支石墓は,いずれも碁盤形であるが,朝鮮のものに比べて小型化している。地下の埋葬施設には,石棺,土壙に加えて,甕棺が見られることは大きな特色である。当初は,渡来人の営んだ墳墓であったが,消滅期には,在地性の強い大型甕棺墓群のなかにあって,ごく一部で標識的に巨石が置かれるといったように,変容がみられる。
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百科事典マイペディア 「支石墓」の意味・わかりやすい解説

支石墓【しせきぼ】

中国東北部,朝鮮,日本の九州地方で新石器時代から初期鉄器時代に構築された墳墓。形はヨーロッパのドルメンに近い。中国東北部から朝鮮半島北部に分布する北方式(卓子式)と朝鮮半島中部以南に分布する南方式(碁盤式)の2形式がある。北方式は,板石の支石と巨大な蓋石(ふたいし)で地上に石室を作り,その下に遺体を埋めたもの。南方式は,蓋石を数個の塊石でささえたもので,地下に石棺,土壙(どこう)などの埋葬施設をもつ。日本には南方式が弥生時代早期に伝わったが,埋葬施設に甕棺が加わり小規模になるなど変化が生じている。
→関連項目石ヶ崎遺跡志登支石墓群

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「支石墓」の意味・わかりやすい解説

支石墓
しせきぼ

中国、朝鮮半島、日本に広く分布する巨石墳墓の一形態。北朝鮮で板石を3~4枚立てて方形石室をつくり、平たい大石をかぶせた卓子形のものを支石と称するのに由来する。朝鮮半島南部では支石が塊石となった碁盤(ごばん)形のものが多いが、第二次世界大戦後の朝鮮半島における調査で「支石のない支石墓」が南北を通じて知られるようになり、蓋石(ふたいし)式支石墓の名称が提唱されている。わが国には縄文時代晩期に農耕技術とともに西北九州地域に伝来した蓋石式、碁盤式があり、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島県に分布している。弥生(やよい)時代前期までは群集しており、地下には土壙(どこう)、石棺、石室、甕棺(かめかん)などが設けられている。中期になると分布も広がり、大型の合口(あわせぐち)甕棺などがみられるのは半島にない特色であろう。また福岡県須玖(すぐ)遺跡では変型支石墓下の甕棺から三十数面の前漢(ぜんかん)鏡が発見され、奴(な)国の王墓とされている。しかし西暦1世紀後半ごろまでにはほぼ姿を消してしまった。

[小田富士雄]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「支石墓」の解説

支石墓
しせきぼ

縄文晩期~弥生中期の九州北部の墓制の一つ。東アジアの支石墓(ドルメン)は中国東北地区南部や朝鮮半島に分布するが,日本には朝鮮半島南部に発達した碁盤(ごばん)形の支石墓が縄文晩期の九州西北部に伝えられた。小さな数個の支石の上に上石(標石)を乗せるが,支石をもたないものもある。その下部に箱式石棺・土壙(どこう)・甕棺(かめかん)などの埋葬施設が設けられる。初期の支石墓は10基前後から数十基が群集するが,後には甕棺墓群の特定の墓に採用されるようになる。副葬品はあまりなく,朝鮮半島系の磨製石鏃(せきぞく)などのほか,まれに貝輪などがある。日本の稲作受容期に流入した一連の文化要素の一つ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「支石墓」の意味・わかりやすい解説

支石墓
しせきぼ

朝鮮半島を中心として,中国東北地区から日本の北九州地方にまで広がる巨石墓の一種。ドルメンと共通する要素が多い。扁平な4枚の板石を地上に立てて四角に組み,その上に大きなふた石を載せた卓子式 (北方式) 支石墓と,地下に石棺や石室をもち,数個の支石の上に塊石を載せる碁盤式 (南方式あるいは変形) 支石墓がある。前数世紀頃から紀元前後頃までの初期金属器時代のものである。日本では弥生時代の前・中期に行われ,その分布は北九州が中心となっている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「支石墓」の解説

支石墓
しせきぼ

弥生時代,北九州地方に行われた墳墓の一形式
数個の石塊を並べて上の大形の板石を支え,その下に遺骸を置いた。埋葬は甕棺 (かめかん) をうめたものが多く,福岡県須玖 (すぐ) 支石墓のように,銅鏡・銅剣・銅鉾 (どうほこ) ・玉類を出土するものもあり,当時の小地域の首長や有力者の墓と考えられている。

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世界大百科事典(旧版)内の支石墓の言及

【墳墓】より

…ヨーロッパ西部のものが名高いが,東アジア,インドほか世界各地に似たものがある。なお本来の墳丘を失って石室が露出した状況のものをヨーロッパでドルメンと呼んでいるのに対して,東アジア(日本では九州西北~北部の縄文~弥生時代)のドルメン(支石墓)は,もともと墳丘をもたず,巨石をもって標識とした点が違っている。墳丘をつくらず自然の丘を利用して大規模な横穴式墓室をつくることもある。…

※「支石墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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