新石器時代から初期鉄器時代にかけて世界的に分布する巨石墳墓の一種。フランス北西部に数多く知られた,この種の墳墓に対して,ブルトン語で卓または机と石をそれぞれ意味する,ドルメンdolmenの訳語として一般に行われている。ドルメンの語義が示すように,ふつう4個ないし6個の支石(撑石)を立てて方形の墓室をつくり,その上に1枚の巨石を置いたものをいうが,時代や地域によって墓室の構造は多様である。巨岩の上石は,地上に露出しているので,あたかも墓標のような役割も果たすが,原則として封土はみられない。イギリスやフランスでは,横穴式石室墳や巨石で構築した石室墳までドルメンと呼ばれることがあるが,それは転化であって,もともとの意味ではない。支石墓は,ヨーロッパ北・西部,地中海沿岸から小アジア,インド南部,東南アジア,アメリカ,そして東アジアと広範囲に分布するが,それら相互の間に因果関係がすべてあるわけではない。東アジアにおいては朝鮮半島で顕著に発達したが,中国大陸や日本列島にも分布する。
中国では長江(揚子江)下流域のわずかな例を除くと,東北地方(旧,満州)に比較的多い。東北地方では1982年までに33遺跡60基が知られ,遼河以東の吉林省南部から遼東半島にかけて,おもに丘陵地帯に分布する。ここでは,花コウ岩に加工を施した巨石で,地表に墓室をつくり,上石をかぶせたテーブル形(卓子形。北方式)が多いが,花コウ岩の自然石を利用して,地下に小さな墓室をつくって,上石を載せるという形式も認められる。支石墓の内部からときどき人骨片が出土するが,副葬品は少なく,まれに土器,磨製石鏃,多頭石斧,紡錘車などが検出される程度である。年代に関しては,ほぼ春秋時代並行期とする考え方がある。
朝鮮半島では,無文土器(青銅器)時代の代表的墳墓の一つに数えられる。咸鏡北道など一部の地域を除いて,ほぼ全道に分布している。支石墓の形態や構造も複雑で,地上に4枚の板石を立て,平面を長方形の箱形に組み合わせた石棺に巨大な板石で上石をかぶせた,いわゆるテーブル形は北部地方に多い。同形式のものが,前述のとおり,中国の東北地方に多く分布するところから,朝鮮の支石墓の起源は中国東北地方に求められよう。そして,地上には巨石だけが目立ち,地下に埋葬施設をつくる,いわゆる碁盤形式は南部地方に多い(南方式)。地下の埋葬施設には,石棺,石室,土壙などがある。そのほか,いくつかの埋葬施設とその周辺の積石が連接して,一定の墓域をなしている場合や,さらにそこに巨石を標識的に置く場合などもまれには認められる。朝鮮では,全体的な傾向として,地上に高く威容を示すテーブル形(北方式)が古く,それがそのまま地下に入るようになった碁盤形が新しい。支石墓の内部からは,ときどき磨製の石剣や石鏃などが出土するが,無文土器や銅剣はきわめてまれにしか見つからない。テーブル形は規模が大きく,また,数量も少ないので,そこに集落内部でも特定の被葬者を想定できようが,碁盤形は小規模化するとともに,数量も膨大なものになり,その背後に築造者の階層が広範化したことがうかがえる。朝鮮の支石墓は日本に伝播し,縄文時代晩期後半から弥生時代中期中葉にかけて,北西部九州を中心に,一部は南部九州にまで分布する。その数は,中国東北地方のそれをはるかに凌駕する。
日本の支石墓は,いずれも碁盤形であるが,朝鮮のものに比べて小型化している。地下の埋葬施設には,石棺,土壙に加えて,甕棺が見られることは大きな特色である。当初は,渡来人の営んだ墳墓であったが,消滅期には,在地性の強い大型甕棺墓群のなかにあって,ごく一部で標識的に巨石が置かれるといったように,変容がみられる。
執筆者:西谷 正
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中国、朝鮮半島、日本に広く分布する巨石墳墓の一形態。北朝鮮で板石を3~4枚立てて方形石室をつくり、平たい大石をかぶせた卓子形のものを支石と称するのに由来する。朝鮮半島南部では支石が塊石となった碁盤(ごばん)形のものが多いが、第二次世界大戦後の朝鮮半島における調査で「支石のない支石墓」が南北を通じて知られるようになり、蓋石(ふたいし)式支石墓の名称が提唱されている。わが国には縄文時代晩期に農耕技術とともに西北九州地域に伝来した蓋石式、碁盤式があり、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島県に分布している。弥生(やよい)時代前期までは群集しており、地下には土壙(どこう)、石棺、石室、甕棺(かめかん)などが設けられている。中期になると分布も広がり、大型の合口(あわせぐち)甕棺などがみられるのは半島にない特色であろう。また福岡県須玖(すぐ)遺跡では変型支石墓下の甕棺から三十数面の前漢(ぜんかん)鏡が発見され、奴(な)国の王墓とされている。しかし西暦1世紀後半ごろまでにはほぼ姿を消してしまった。
[小田富士雄]
縄文晩期~弥生中期の九州北部の墓制の一つ。東アジアの支石墓(ドルメン)は中国東北地区南部や朝鮮半島に分布するが,日本には朝鮮半島南部に発達した碁盤(ごばん)形の支石墓が縄文晩期の九州西北部に伝えられた。小さな数個の支石の上に上石(標石)を乗せるが,支石をもたないものもある。その下部に箱式石棺・土壙(どこう)・甕棺(かめかん)などの埋葬施設が設けられる。初期の支石墓は10基前後から数十基が群集するが,後には甕棺墓群の特定の墓に採用されるようになる。副葬品はあまりなく,朝鮮半島系の磨製石鏃(せきぞく)などのほか,まれに貝輪などがある。日本の稲作受容期に流入した一連の文化要素の一つ。
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…ヨーロッパ西部のものが名高いが,東アジア,インドほか世界各地に似たものがある。なお本来の墳丘を失って石室が露出した状況のものをヨーロッパでドルメンと呼んでいるのに対して,東アジア(日本では九州西北~北部の縄文~弥生時代)のドルメン(支石墓)は,もともと墳丘をもたず,巨石をもって標識とした点が違っている。墳丘をつくらず自然の丘を利用して大規模な横穴式墓室をつくることもある。…
※「支石墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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