南島泉村(読み)みなみしまいずみむら

日本歴史地名大系 「南島泉村」の解説

南島泉村
みなみしまいずみむら

[現在地名]羽曳野市島泉しまいずみ一―三丁目・同八―九丁目・高鷲たかわし九―一〇丁目

みや村の北にある。丹南郡に属し、長尾街道を挟んで北にある丹北郡島泉村に対して南島泉村と称した。西には東除ひがしよけ川が流れる。天正一一年(一五八三)八月一日に船越景直が河内国丹南郡島泉の二一八石一斗を宛行われているが(記録御用所本古文書)、この島泉は当村と考えられる。慶長一七年(一六一二)水割符帳(田中篤家文書)によると狭山さやま(現南河内郡狭山町)の中樋筋から取水しており、水懸り高四六二石。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では島泉村として高四六二石余、旗本堀田助左衛門領。堀田領は元禄一五年(一七〇二)まで続き、同一六年幕府領(宝永元―二年京都町奉行安藤次行預地)、正徳二年(一七一二)から武蔵川越藩秋元喬知領(明和九年「村明細帳」吉村尭家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む