南本所荒井町(読み)みなみほんじよあらいちよう

日本歴史地名大系 「南本所荒井町」の解説

南本所荒井町
みなみほんじよあらいちよう

[現在地名]墨田区本所ほんじよ一―二丁目・東駒形ひがしこまがた二丁目など

北本所番場きたほんじよばんば町・南本所番場町の東、北本所表きたほんじよおもて町の南にあり、数ヵ所に分れて散在する。南本所村起立時からの百姓町屋で、田畑を所持し諸商売をしていたが、万治年間(一六五八―六一)に田畑は上地となり、町屋はそのままとされた。宝永二年(一七〇五)永々家作御免の町屋となり、正徳三年(一七一三)町奉行支配となるが、地方は代官支配とされた。町内は花厳けごん寺地続き西側・同地面続き東側・同地面北西向い南側・同地面東西向い西側、泉竜せんりゆう寺脇西側・同地面東向い西側、北割きたわり下水通北側・同南側の本地八ヵ所の坪数三千四一四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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