南条・中之条用水堰(読み)みなみじよう・なかのじようようすいせぎ

日本歴史地名大系 「南条・中之条用水堰」の解説

南条・中之条用水堰
みなみじよう・なかのじようようすいせぎ

[現在地名]坂城町南条・中之条

開削は元和年中(一六一五―二四)であるといわれる(埴科郡志)下塩尻しもしおじり(現上田市塩尻)のいこい田より揚水し、岩鼻の険の下を通して、鼠宿ねずみじゆく村・新地しんち村・金井かない村を経て中之条村の返町田そりまちだまで幹線総長約四キロの用水堰。

中之条村の御堂みどう川が、元禄年間(一六八八―一七〇四)押し出して用水を埋め、千曲川へ落水させなければならなかった。元禄一一年四月横尾沢川(金井・中之条境)が押し出して土堤が破壊され、中之条村で普請をした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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