日本歴史地名大系 「南渡辺町」の解説 南渡辺町みなみわたなべちよう 大阪府:大阪市東区南渡辺町[現在地名]東区北久太郎(きたきゆうたろう)町四―五丁目・唐物(からもの)町五丁目・南本(みなみほん)町五丁目・渡辺(わたなべ)町・船場中央(せんばちゆうおう)五丁目北渡辺町の南に延びる渡辺筋の両側町で、北は本町(ほんまち)通から南は坐摩(ざま)社北まで。「天保町鑑」に「座摩の宮前通り、本町より南へ」とある。古くは北渡辺町四―六丁目といった(初発言上候帳面写)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数七〇・役数八六役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は松屋六右衛門。同帳および南渡辺町外二町石懸支配銀免除記(大阪市史編纂所蔵)によると、坐摩社祭礼のとき人足および社中掃除人足を町内から出したため、公役のうち惣会所支配銀は延宝(一六七三―八一)頃から免除されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by