日本歴史地名大系 「南石垣村」の解説 南石垣村みなみいしがきむら 大分県:別府市南石垣村[現在地名]別府市餅(もち)ヶ浜町(はまちよう)・若草町(わかくさちよう)・新港町(しんみなとまち)・京町(きようまち)・富士見町(ふじみちよう)・幸町(さいわいまち)・天満町(てんまんちよう)・上野口町(かみのぐちちよう)・石垣東(いしがきひがし)一―四丁目・石垣西(いしがきにし)一―四丁目、南石垣 東荘園(ひがしそうえん)・荘園(そうえん)立石(たていし)村の東、石垣原(いしがきばる)扇状地中央の海岸よりに位置する。南は別府村。扇状地の中央を南北に走る湧水地帯を中心に集落が形成され、集落を結ぶように豊前道(鹿鳴越)が南北に走る。水田は集落と海岸との間に開ける。江戸時代の領主の変遷は別府村に同じ。慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡・由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)に「石垣庄南村」とみえ、高一千三四九石余。同一八年の速見郡内御蔵納目録(松井家文書)には「南石垣村」とみえ、高一千三二三石余、うち地震永荒高六五五石余、毛付高六六七石余、田方三六町六反余・畠方二三町一反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by