南鍋町一丁目
みなみなべちよういつちようめ
[現在地名]中央区銀座五―六丁目
山下町の東に続く両側町。北は元数寄屋町二丁目、南は滝山町・南佐柄木町。町名は長谷川豊後という鋳物師がこの地に居住していたことに由来する(東京府志料)。寛永江戸図には「なへ町」とみえ、延宝江戸方角安見図でも鍋町。「江戸惣鹿子名所大全」は南鍋町には刀脇指細工類、きせる屋、水菓子屋が多いとし、鏡師山本加賀守、菓子所えびや作兵衛・かにや清兵衛、名酒屋中村清兵衛、仏具並鋳物師長谷川越後、釜屋山城、具足屋並着込岩井六右衛門、地張きせる屋播磨屋庄兵衛、鞘師平吉、刻肴屋つる屋らを記す。また南鍋町新道には古筆屋平塚伊左衛門がいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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