滝山(読み)たきやま

日本歴史地名大系 「滝山」の解説

滝山
たきやま

小県郡の西部。青木村と筑摩郡中川なかがわ村(現東筑摩ひがしちくま四賀しが村)の境にある山。標高一六二四メートル。山の東斜面には滝川によってできた不動沢が奈良本ならもとに延びる。西斜面は中川が渓谷をつくり流下して会田あいだ川に合流する。

滝山中腹の不動滝の近くの寺屋敷てらやしき地籍はかつて滝仙りゆうせん寺があったが、慶長三年(一五九八)この地より奈良本に移したと伝える(長野県町村誌)。旧滝仙寺は皆神山滝泉寺と称し、もとは霊山りようせん寺であったことを物語る。


滝山
たきやま

[現在地名]八王子市大横町

よこ町の北にある一画。八王子横山十五はちおうじよこやまじゆうご宿のうちではないが、「風土記稿」では大善だいぜん寺・極楽寺の境内はもと横山村の地内であったとして十五宿に続いて滝山の項を設けている。八日市ようかいち宿と八幡はちまん宿の間の小路を大善寺横だいぜんじよこ町というと記す。八王寺拾五宿図(高尾山石老山記)に極楽寺横丁とある。浄土宗の大善寺は永禄年間(一五五八―七〇)滝山城主北条氏照の開基、讃誉を檀那として起立したと伝え、八王子城に移った北条氏も代々帰依したという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝山」の解説

滝山 たきやま

1806-1876 江戸時代後期の女性
文化3年生まれ。鉄砲百人組与力大岡権左衛門の長女で,16歳で江戸城大奥にあがる。文政5年徳川家慶(いえよし)の侍女となり,のち年寄。家慶から慶喜(よしのぶ)まで4代の将軍につかえ,江戸開城まで大奥につとめた。明治9年1月4日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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