日本歴史地名大系 「南須田村」の解説
南須田村
みなみすだむら
見寺領」と刻む石標がある。南西は
見
見寺文書)、明治四年(一八七一)当村が大津県の管轄となるまで続く。慶長七年(一六〇二)の豊浦之庄
見寺分検地帳(同文書)によれば上田四町七反余・中田一町八反余・下田五町四反余、上畠八反余・中畠五反余・下畠六反余、屋敷四反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
見寺領」と刻む石標がある。南西は
見
見寺文書)、明治四年(一八七一)当村が大津県の管轄となるまで続く。慶長七年(一六〇二)の豊浦之庄
見寺分検地帳(同文書)によれば上田四町七反余・中田一町八反余・下田五町四反余、上畠八反余・中畠五反余・下畠六反余、屋敷四反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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