原倉村(読み)はらくらむら

日本歴史地名大系 「原倉村」の解説

原倉村
はらくらむら

[現在地名]玉東町原倉

さんノ岳(六八一・三メートル)北麓に位置し、東は円台寺えんだいじ村・木留きとめ(現鹿本郡植木町)、北は白木しらき村・上白木村、西は小天おあま村・尾田おた(現天水町)、南は大多尾おおたお(現飽託郡河内町)と接する。慶長一三年(一六〇八)検地帳に「山北之内白木村出分原蔵村」とあり、元禄国絵図にも「白木村之内原倉村」とあって、白木村の出分が独立分村した。なお山北やまきたは享禄三年(一五三〇)一二月三日の重円書状案(相良剛氏所蔵文書)によれば円台寺と山境相論をしているが、端裏書に「原倉境論之時文書案」とあるので、この相論は当村内の山をめぐってのことと思われる。慶長の検地帳によると田一二町四反六畝余・畠三四町三反一畝余・屋敷三一筆二町二反五畝余、分米四〇五石一斗余、家数八七・人数九四、牛馬一七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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