日本大百科全書(ニッポニカ) 「製鉄遺跡」の意味・わかりやすい解説
製鉄遺跡
せいてついせき
鉄または鉄器の生産に関する遺跡。生産用具や武器に鉄器が用いられる弥生(やよい)時代から、製鉄遺跡の存在が推定されるが、この時代の遺構は検出されていない。製鉄遺構の調査例で最古のものは6世紀後半であり、製鉄炉、作業場、廃滓(はいさい)場、燃料置場がセットをなしている。製鉄原料には赤目(あこめ)とよばれる砂鉄(さてつ)が、燃料にはアベマキが用いられた。砂鉄を得るための鉄穴(かんな)流し(水流による比重選鉱)の遺構は中国地方に多いが、この時期にはすでに用いられた可能性がある。
このころの和鉄製錬は、地面を掘って築いた野炉(のろ)で砂鉄と木炭をあわせて溶融したものといわれるが、中世になると「たたら」(鑪)を築いて、いわゆるたたら製鉄が行われるようになった。なお鉄穴流しの手法は江戸期まで用いられた。製鉄関係遺跡として鍛冶(かじ)遺構がある。これは鉄素材から鉄製品を完成させたり、鉄器を修理したりするものである。調査例の上限は6世紀後半であるが、鉄滓は5世紀初頭、鍛冶具は5世紀後半からそれぞれ古墳に供献されているから専業的生産の開始はこのころと推定されている。
製鉄遺跡から出土する遺物には、羽口(はぐち)(溶鉱炉に熱風を吹き込む)、鉄滓、土器があり、鍛冶遺跡からはこのほか鉄鉗(かなはし)、鉄床(かなとこ)、鉄槌(かなづち)、たがね、砥石(といし)が出る。
古代の製鉄遺構には『日本霊異記(りょういき)』などから、鉄鉱石採掘遺構が存在すると思われるが、遺構の明らかにされた調査例はいまのところない。古墳時代の製鉄遺跡の典型例は、岡山県津山(つやま)市神代(こうじろ)の大沢池南遺跡であり、7層の作業面を検出している。
[今井 尭]
『村上幸雄著『稼山遺跡群』全4巻(1982・久米文化財調査委員会)』