20世紀日本人名事典 「原田金之祐」の解説 原田 金之祐ハラダ キンノスケ 明治〜昭和期の実業家 京城商業会議所初代会頭。 生年嘉永7年3月22日(1854年) 没年昭和9(1934)年5月22日 出身地近江国(滋賀県) 経歴原田延次郎の長男に生まれる。明治15年共同運輸会社設立委員となり、その設立と同時に支配人となる。16年富山県の伏木支店長となり、同社が三菱運輸と合併して日本郵船となった後も同職を勤めた。27年大阪支店長に転じ、14年間大阪実業界に尽力。39年本店調度課長を経て、44年取締役となる。同年朝鮮郵船の設立に尽くし、45年初代社長。京城商業会議所初代会頭にも就任し朝鮮実業界に貢献した。晩年は諸役を辞し、郷里の滋賀に帰って近江信託社長を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田金之祐」の解説 原田金之祐 はらだ-きんのすけ 1854-1934 明治-昭和時代前期の実業家。嘉永(かえい)7年3月22日生まれ。日本郵船の大阪支店長をへて,明治44年取締役となる。朝鮮郵船の設立につくし,45年初代社長。京城商業会議所初代会頭もつとめた。晩年は近江(おうみ)信託社長。昭和9年5月22日死去。81歳。近江(滋賀県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by