友淵村(読み)ともぶちむら

日本歴史地名大系 「友淵村」の解説

友淵村
ともぶちむら

[現在地名]都島区友渕(ともぶち)町一―二丁目・毛馬(けま)町一丁目

善源寺(ぜんげんじ)村の北に位置し、東は赤川(あかがわ)村(現旭区)、西は淀川。淀川沿いの集落南部に淵側(ふちのかわ)池がある。「住吉大社神代記」の「長柄船瀬本記」に、長柄(ながら)船瀬の西限とある「鞆淵」にあたるとみられる。武庫(むこ)郡西宮(にしのみや)(現兵庫県西宮市)の六湛禅(ろくたんぜん)寺塔頭茂松(もしよう)庵の鐘銘(「集古十種」所収)には「摂津国西成郡舳渕庄盛福寺鐘」と刻されていた。鐘銘によるとこの鐘は文永一一年(一二七四)僧成仏が願主となり、尼蓮向のため舳淵(ともぶち)庄盛福寺に寄進したもので、追刻銘により嘉慶元年(一三八七)六湛禅寺に移されたことがわかる。


友淵村
ともぶちむら

[現在地名]三和町字友淵

土師(はぜ)川支流の友淵川上流に位置し、天田郡の東南端を占める。南は多紀(たき)郡(現兵庫県)と境し、「丹波志」は「民家ノ南ノ川ヲ越シ、本道三町計行道ノ両脇ニ、高サ一丈斗立岩弐ツ有、右ノ方ニ有ハ天田郡、左ニ有ハ多紀郡也、同草山郷ノ遠方村六町斗ナリ、牛馬道草山谷ハ篠山エ道ナリ」と記す。東南端に三郡(みくに)峠があり、同書に

<資料は省略されています>

とみえるように東は丹波国船井郡と境し、北は大身(おおみ)村である。また同書は「友カ淵ト云所在、依之地名トナリタリト云」と続ける。

高三四八・七七石、うち一八三石余は水野壱岐守領、一六五石余は代官小堀対馬支配、民家五五戸(丹波志)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む