日本歴史地名大系 「口田縄村」の解説 口田縄村くちだのむら 福井県:小浜市口田縄村[現在地名]小浜市口田縄檜(ひのき)山(六七四メートル)の北、親王(しんのう)谷より北流して南(みなみ)川に合流する奥田縄川の川下に位置し、北東は須縄(すの)村、集落は通称大光寺(だいこうじ)山西側山裾の字佐近(さこ)にある。中世は今富(いまとみ)名・富田(とみた)郷に属し、守護武田氏被官大塩氏の本貫地。中世には奥田縄を合わせて田縄とよび、大永七年(一五二七)一〇月二一日付の明通寺寄進札に「田縄水船」とみえる。弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)には「百廿文 たなハ大塩新五郎殿百姓」を載せ、「たなわ」と発音したらしい。正保郷帳によれば田方一〇四石余・畠方三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by