口銀屋町(読み)くちがなやまち

日本歴史地名大系 「口銀屋町」の解説

口銀屋町
くちがなやまち

[現在地名]生野町口銀谷くちがなや

現町域の西部中ほどにあり、いち川が流れる。但馬街道(生野街道)筋の要所であった。口銀谷とも記される。銀山廻七町の一で、「銀山旧記」天文一一年(一五四二)条に侍屋敷、町屋敷、寺社が立並ぶ繁昌の地と記される。慶長五年(一六〇〇)より幕府領。南に播磨口番所、北に但馬口番所が置かれ、元県内もとけんない生野代官所が設置されていた。天和三年(一六八三)の銀山廻地改帳(生野書院蔵)に口銀屋として田一町五反余・畑一町五反余とある。享保一五年(一七三〇)の銀山宗門改帳(同院蔵)では戸数一八五・世帯数二五一、人数一千二一五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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