但馬街道(読み)たじまかいどう

日本歴史地名大系 「但馬街道」の解説

但馬街道
たじまかいどう

近世、福知山城下から和久市(わくのいち)―下荒河(しもあらが)を経て西北挟間(はざま)峠を越え、牧(まき)で牧川の渡を渡って牧川沿いに、立原(たつわら)―上小田(かみおだ)―梅谷(うめだに)(現福知山市)―井田(いだ)―額田(ぬかた)―日置(へき)―高内(たかうち)―小倉(おぐら)(現天田郡夜久野町)に達し、ここで丹波・但馬境の夜久野(やくの)ヶ原(はら)を越え、矢名瀬(やなせ)(現兵庫県朝来郡山東町)―和田山(わだやま)(同和田山町)―豊岡(とよおか)(同豊岡市)方面へ向かう道をいった。但馬側では京街道とよんだ。

この道は遠く山陰地方へ向かう道であったが、中・近世の記録では山陰(街)道という呼称はみえない。但馬への重要な道ではあったが、福知山城下から但馬へ向かう人は、和久市から豊住(とよずみ)街道(佐治(さじ)街道)で、新庄(しんじよ)―半田(はんだ)―拝師(はいし)―石場(いしば)―畑中(はたけなか)―小牧(こまき)(現福知山市)―千原(ちはら)―末(すえ)(現天田郡夜久野町)を経て高内へのルートをとるか、立原から北方登尾(のぼりお)峠を越える出石(いずし)街道で豊岡を目指すほうが距離的にも近く一般的であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む