口馬地村(読み)くちまじむら

日本歴史地名大系 「口馬地村」の解説

口馬地村
くちまじむら

[現在地名]久美浜町字口馬地

久美谷くみだに川の支流馬地川の下流、馬地谷の口に集落をつくる。南は上流の奥馬地村、北東は久美浜に通じる。

小字つかたににある塚の谷古墳は、横穴式石室上の封土の高さ約六メートルの円墳で、玄室の長さ六・四メートル、長さ四メートルの天井石がある(熊野郡誌)

中世末の丹後国御檀家帳に「くみのまし 家三拾軒斗」とあり、今井総治郎・同総左衛門尉・同源左衛門・同小太郎の名が記される。近世に入ると慶長検地郷村帳に高七九三・九一石「馬地村」とみえるが、その後地内であった奥馬地村・河梨こうなし村が分離・高付され、延宝三年郷村帳では二一六・七四五石となり、「口馬地村」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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