古川城跡(読み)ふるかわじようあと

日本歴史地名大系 「古川城跡」の解説

古川城跡
ふるかわじようあと

[現在地名]古川市二ノ構

古川市街の西端にあり、本丸跡には現在古川第一小学校がある。「伊達正統世次考」によれば、室町時代中期に大崎氏七代教兼の六男某が初めて古川に住し、地名を姓となしたとあり、これが後世の古川城となったと思われる。天文五年(一五三六)大崎義直とその家臣新田安芸行遠、弟古川刑部持慧の対立が激化し、義直の要請で援軍を出した伊達稙宗は、古川刑部の立籠る古川城を攻撃した。攻撃にあたり、周囲を偵察したところ「東北は卑湿にして沼をなし、人馬通り難し。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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