葛西大崎一揆(読み)かさいおおさきいっき

改訂新版 世界大百科事典 「葛西大崎一揆」の意味・わかりやすい解説

葛西・大崎一揆 (かさいおおさきいっき)

16世紀末,陸奥国におきた地侍・農民一揆。1590年(天正18)8月,豊臣秀吉の〈奥羽仕置〉によって葛西晴信大崎義隆改易となり,木村吉清が現在の宮城県北部から岩手県南部にわたる旧領12郡を与えられて登米(とよま)城に入った。10月初め加美郡で,伝馬役に反対する大崎旧臣や上層農民が刀をもって抵抗し30余人が磔に処されたが,まもなく葛西旧領の胆沢気仙・磐井諸郡,続いて中旬には旧大崎領の玉造郡に一揆がおき,さらに葛西・大崎旧領全域に一揆は波及し,吉清・清久父子は登米郡佐沼城に包囲された。秀吉の命令を受けた伊達政宗と蒲生氏郷はその討伐にあたり,11月24日吉清らは救出された。翌年6月伊達政宗が再度一揆討伐にあたり,6月25日加美郡宮崎城,7月3日佐沼城を陥落,4日登米城を開城させ,一揆を鎮圧した。この一揆は政宗の扇動によるものとされるが,基本的原因は太閤検地強行への反対とみられる。
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百科事典マイペディア 「葛西大崎一揆」の意味・わかりやすい解説

葛西・大崎一揆【かさいおおさきいっき】

陸奥(むつ)国葛西7郡,同大崎5郡を領していた葛西晴信(はるのぶ),大崎義隆(よしたか)は1590年豊臣秀吉の小田原征伐に遅参・不参を問われ,所領を没収されて滅亡跡地に入封した木村吉清の検知強行などに対し,同年10月葛西・大崎両氏の旧臣と与同農民等が起こした一揆。翌年7月伊達政宗(まさむね)が一揆の拠る登米(とよま)城を落とし鎮圧。

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