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古市与一郎 ふるいち よいちろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

古市与一郎 ふるいち-よいちろう

1828-1898 明治時代の農業技術者。
文政11年2月10日生まれ。明治9年津田仙の学農社にはいり,卒業後郷里の三重県安芸郡で農事改良につくす。20年沢野淳に農芸化学をまなび,選種,苗作,肥料,害虫駆除などの総合稲作法「与一流稲作法」を考案し,普及させた。30年稲作伝習所を設立。明治31年4月15日死去。71歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

古市与一郎

没年:明治31.4.15(1898)
生年:文政11.2.10(1828.3.25)
明治期の農事改良家。ことに稲作改良に専念して与一流稲作法を創始し,その普及に尽力した。伊勢国河芸郡河曲村十宮(三重県鈴鹿市)の農家に生まれる。14歳のころには犂と耙の操作に熟達,牛を使って7町歩余を耕作することができたという。24歳で家業を継ぎ,借財に苦しんでいた古市家を適正な農事経営によってたて直した。居村の年寄役,里正を,廃藩置県後は十宮,高岡村の戸長を務める。明治9(1876)年49歳で津田仙の学農社農学校に入学。同17年深耕に適する和洋折衷犂を発明,与一犂と名づけた。22,23年ごろ選種,堆肥の製造,耕耘,駆虫などについて「稲作改良三大要点,七要衡」を発明,与一流稲作法と名づけ,三重県内はもちろん,静岡,福島,岐阜の諸県で実地指導した。明治30年,死の前年に十宮に稲作伝習所を開設した。<参考文献>須々田黎吉「『与一流稲作法』解題」(『明治農書全集』3巻)

(須々田黎吉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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