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加納夏雄 かのうなつお

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

加納夏雄
かのうなつお

[生]文政11(1828).4.14. 京都
[没]1898.2.3. 東京
彫金家。本姓は伏見,のち加納家の養子となった。通称は治三郎。大月派の金工池田孝寿に入門,また中島来章に絵を学んだ。のち上京して独自の作風を築き,宮内省御用掛,東京美術学校教授,帝室技芸員となった。

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デジタル大辞泉の解説

かのう‐なつお〔カナフなつを〕【加納夏雄】

[1828~1898]幕末・明治の彫金家。山城の人。円山派絵画も学び、江戸に出て刀装具などに写生風の彫法を用いて活躍。片切り彫りを得意とした。東京美術学校教授。

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百科事典マイペディアの解説

加納夏雄【かのうなつお】

幕末〜明治の金工家。京都生れ。旧姓は伏見氏。7歳で刀剣商加納家の養子となった。池田孝寿に金工を学び,のち江戸に移って独自の作風を創始。人物・花鳥など写実的な意匠をもとにし,高彫,色絵象嵌(ぞうがん)など複雑精緻(せいち)な作で,特に片切彫にすぐれた。
→関連項目海野勝【みん】清水亀蔵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

加納夏雄 かのう-なつお

1828-1898 幕末-明治時代の彫金工。
文政11年4月14日生まれ。奥村庄八,池田孝寿に師事。かたわら中島来章に画をまなぶ。明治2年造幣寮につとめ,新貨幣の原型製作に従事。23年東京美術学校(現東京芸大)教授。帝室技芸員。明治31年2月3日死去。71歳。京都出身。本姓は伏見。通称は治三郎。号は寿朗。代表作に「月雁図鉄額」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

加納夏雄

没年:明治31.2.3(1898)
生年:文政11.4.11(1828.5.24)
幕末明治期の彫金家。明治金工界の巨匠。米穀商伏見屋治助の子として京都柳馬場御池通りで生まれた。幼名は治三郎といい,天保5(1834)年7歳のときに刀剣商加納治助の養子となり,はじめ奥村庄八に彫金技術の手ほどきを受け,11年大月派の金工師池田孝寿門下となり寿朗と改名した。弘化3(1846)年19歳で独立して京都で開業,夏雄を名乗った。このころ,絵を円山派の中島来章に,漢学を谷森種松に学び,後年の制作活動の基になった。安政1(1854)年27歳のときに江戸に移り,明治の初めまで刀装具の制作に当たった。明治2(1869)年には宮内省より明治天皇の御刀金具の彫刻を命ぜられ,また4年の新政府の新貨条例に伴って10年まで大阪造幣寮に出仕し,新貨幣の原型製作に従事した。9年の廃刀令により刀装具制作を断念し,東京に戻ってからは,花瓶,置物,煙草盆などの生活用具を制作した。14年第2回内国勧業博覧会の審査官となり,27年には東京美術学校(東京芸大)教授,第1回帝室技芸員になった。下絵にすぐれ,作風は写生に徹した生動感にあふれる人物,花鳥表現に独自の境地を示した。代表作に内国勧業博覧会で妙技1等賞を受賞した「鯉魚図額」(東京国立博物館蔵)や「百鶴図花瓶」(宮内庁蔵)がある。墓は東京都台東区谷中墓地にある。

(加島勝)

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世界大百科事典 第2版の解説

かのうなつお【加納夏雄】

1828‐98(文政11‐明治31)
彫金家。京都に生まれ,旧姓は伏見氏。7歳で刀剣商加納治助の養子となり,通称治三郎,寿朗と号す。金工奥村庄八に彫金技術を学び,1840年(天保11)大月派の金工池田孝寿の門に入った。また絵を円山派の中島来章,漢籍を森田節斎に学ぶ。46年(弘化3)京都で金工を開業,このころ夏雄を名のり,54年(安政1)江戸に移る。69年(明治2)新政府により新貨幣の意匠・試鋳,極印の製造を命ぜられ,72年造幣寮に出仕。

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大辞林 第三版の解説

かのうなつお【加納夏雄】

1828~1898) 幕末・明治の彫金家。京都生まれ。江戸に出て、独力で大成。明治前期を代表する作家と評される。維新後、金・銀貨、勲章の原型を製作。東京美校教授。代表作「月雁つきにかり図鉄額」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加納夏雄
かのうなつお
(1828―1898)

幕末・明治の金工家。幼名は治三郎。文政(ぶんせい)11年4月14日、京都の伏見(ふしみ)家に生まれ、5歳で刀剣商加納治助(じすけ)の養子となる。初め奥村庄八(しょうはち)に、ついで1840年(天保11)大月派の金工池田孝寿(たかとし)の門に入り、装剣金具の製作を学び、絵を円山(まるやま)派の中島来章(らいしょう)に習った。46年(弘化3)京都で金工を開業、初め寿朗(としあき)と名のり、のちに夏雄と改め、54年(安政1)江戸に出た。刀装金具の製作はこのころから明治の初めまでで、多くの優品をつくり、名声が高く、69年(明治2)明治政府の新貨幣製作にあたり、大阪造幣寮に出仕してその原型製作に従事した。77年東京に戻ったが、廃刀令後のため刀装金具の需要はなく、根付(ねつけ)、香合(こうごう)、額、飾り金具などの製作に活路をみいだした。81年に第2回内国勧業博覧会出品の『鯉魚図額(りぎょのずがく)』、90年に第3回内国勧業博覧会出品の『百鶴図花瓶(ひゃっかくのずかびん)』がいずれも妙技一等賞を受賞、90年に帝室技芸員、東京美術学校教授に任ぜられた。明治31年2月3日没。その作風は写生画を軽妙洒脱(しゃだつ)に金属面に表したもので、気品の高い作品を多く残している。とくに片切彫りを得意としており、その代表作に『月雁図額(つきにかりのずがく)』(東京国立博物館)がある。[原田一敏]

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世界大百科事典内の加納夏雄の言及

【彫金】より

…〈片刀彫(かたきりぼり)〉は,文様の輪郭線を彫る際に切口の片側を斜めに彫っていく,絵画の付立(つけたて)画法の筆意をそのまま彫り込む技法。江戸時代に横谷宗珉(よこやそうみん)によって始められ,幕末・明治に活躍した加納夏雄は名手といわれる。 〈透彫〉は,器物に文様や地文を切り透かす技法。…

【鐔∥鍔】より

…幕末には後藤家の掉尾を飾る一乗(1791‐1876)が,原則として鐔を製作しなかった後藤家一門にあって鐔の製作に乗り出し,格調ある作風を展開した。また加納夏雄は対象を写生画風に鉄鐔に表現して独自の作風を樹立した。1876年(明治9)の廃刀令後は鐔は無用となったが,輸出品として製作された。…

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