加納夏雄(読み)カノウナツオ

精選版 日本国語大辞典 「加納夏雄」の意味・読み・例文・類語

かのう‐なつお【加納夏雄】

  1. 幕末・明治の金工家。京都の人。池田孝寿に彫金を学ぶ。のち、東京美術学校教授、帝室技芸員歴任片切彫りにすぐれた。代表作「月雁図額」。文政一一~明治三一年(一八二八‐九八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加納夏雄」の意味・わかりやすい解説

加納夏雄
かのうなつお
(1828―1898)

幕末・明治の金工家。幼名は治三郎。文政(ぶんせい)11年4月14日、京都の伏見(ふしみ)家に生まれ、5歳で刀剣商加納治助(じすけ)の養子となる。初め奥村庄八(しょうはち)に、ついで1840年(天保11)大月派の金工池田孝寿(たかとし)の門に入り、装剣金具の製作を学び、絵を円山(まるやま)派の中島来章(らいしょう)に習った。46年(弘化3)京都で金工を開業、初め寿朗(としあき)と名のり、のちに夏雄と改め、54年(安政1)江戸に出た。刀装金具の製作はこのころから明治の初めまでで、多くの優品をつくり、名声が高く、69年(明治2)明治政府の新貨幣製作にあたり、大阪造幣寮出仕してその原型製作に従事した。77年東京に戻ったが、廃刀令後のため刀装金具の需要はなく、根付(ねつけ)、香合(こうごう)、額、飾り金具などの製作に活路をみいだした。81年に第2回内国勧業博覧会出品の『鯉魚図額(りぎょのずがく)』、90年に第3回内国勧業博覧会出品の『百鶴図花瓶(ひゃっかくのずかびん)』がいずれも妙技一等賞を受賞、90年に帝室技芸員、東京美術学校教授に任ぜられた。明治31年2月3日没。その作風写生画を軽妙洒脱(しゃだつ)に金属面に表したもので、気品の高い作品を多く残している。とくに片切彫りを得意としており、その代表作に『月雁図額(つきにかりのずがく)』(東京国立博物館)がある。

[原田一敏]


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改訂新版 世界大百科事典 「加納夏雄」の意味・わかりやすい解説

加納夏雄 (かのうなつお)
生没年:1828-98(文政11-明治31)

彫金家。京都に生まれ,旧姓は伏見氏。7歳で刀剣商加納治助の養子となり,通称治三郎,寿朗と号す。金工奥村庄八に彫金技術を学び,1840年(天保11)大月派の金工池田孝寿の門に入った。また絵を円山派の中島来章,漢籍を森田節斎に学ぶ。46年(弘化3)京都で金工を開業,このころ夏雄を名のり,54年(安政1)江戸に移る。69年(明治2)新政府により新貨幣の意匠・試鋳,極印の製造を命ぜられ,72年造幣寮に出仕。90年東京美術学校彫金科教授,同年帝室技芸員。下絵を上手にかき,人物,花鳥などにみる写実的で精密な作風により,伝統金工を今に伝えた名工といわれ,とくに片切彫にすぐれていた。代表作に《月雁図額》(東京国立博物館),《百鶴図花瓶》《鯉魚図額》などがある。
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百科事典マイペディア 「加納夏雄」の意味・わかりやすい解説

加納夏雄【かのうなつお】

幕末〜明治の金工家。京都生れ。旧姓は伏見氏。7歳で刀剣商加納家の養子となった。池田孝寿に金工を学び,のち江戸に移って独自の作風を創始。人物・花鳥など写実的な意匠をもとにし,高彫,色絵象嵌(ぞうがん)など複雑精緻(せいち)な作で,特に片切彫にすぐれた。明治にはいり宮内省御用掛,東京美術学校教授などを務めた。代表作《月雁図鉄額》。
→関連項目海野勝【みん】清水亀蔵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加納夏雄」の意味・わかりやすい解説

加納夏雄
かのうなつお

[生]文政11(1828).4.14. 京都
[没]1898.2.3. 東京
彫金家。本姓は伏見,のち加納家の養子となった。通称は治三郎。大月派の金工池田孝寿に入門,また中島来章に絵を学んだ。のち上京して独自の作風を築き,宮内省御用掛,東京美術学校教授,帝室技芸員となった。また造幣少技監として,新貨幣の雛型製作にも従事。作品には寿朗のち夏雄の銘を用い,片切彫が得意で,写実的な日本画のやわらかい筆跡をそのまま金属の上に鏨で表現した。主要作品『千羽鶴花瓶』 (宮内庁三の丸尚蔵館) ,『月雁図鉄額』 (1898,東京国立博物館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加納夏雄」の解説

加納夏雄 かのう-なつお

1828-1898 幕末-明治時代の彫金工。
文政11年4月14日生まれ。奥村庄八,池田孝寿に師事。かたわら中島来章に画をまなぶ。明治2年造幣寮につとめ,新貨幣の原型製作に従事。23年東京美術学校(現東京芸大)教授。帝室技芸員。明治31年2月3日死去。71歳。京都出身。本姓は伏見。通称は治三郎。号は寿朗。代表作に「月雁図鉄額」など。

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世界大百科事典(旧版)内の加納夏雄の言及

【彫金】より

…〈片刀彫(かたきりぼり)〉は,文様の輪郭線を彫る際に切口の片側を斜めに彫っていく,絵画の付立(つけたて)画法の筆意をそのまま彫り込む技法。江戸時代に横谷宗珉(よこやそうみん)によって始められ,幕末・明治に活躍した加納夏雄は名手といわれる。 〈透彫〉は,器物に文様や地文を切り透かす技法。…

【鐔∥鍔】より

…幕末には後藤家の掉尾を飾る一乗(1791‐1876)が,原則として鐔を製作しなかった後藤家一門にあって鐔の製作に乗り出し,格調ある作風を展開した。また加納夏雄は対象を写生画風に鉄鐔に表現して独自の作風を樹立した。1876年(明治9)の廃刀令後は鐔は無用となったが,輸出品として製作された。…

※「加納夏雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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