20世紀日本人名事典 「古谷辰四郎」の解説
古谷 辰四郎(1代目)
フルヤ タツシロウ
- 生年
- 慶応4年2月13日(1868年)
- 没年
- 昭和5(1930)年8月9日
- 出生地
- 近江国野洲郡行谷村(滋賀県)
- 経歴
- 大阪での乾物商奉公を経て北海道に渡り、同郷の乾物商・北村与惣弥の下で修業、明治32年頃札幌で乾物商を開く。米穀・雑貨卸問屋 製菓業と事業を広げ、大正12年古谷製菓を創業。14年ミルクキャラメルを発売し、フルヤの名を全国に知らしめた。また酪農事業の振興のために、3年北海道煉乳(のちの大日本乳製品)を創立。昭和3年には酪農事業の基礎強化に向けスイス・ネッスル社との業務提携を計画したが大手乳製品会社の反対を受け実現できなかった。しかし、この時期の外資提携計画は注目すべき事業センスとして語り継がれている。札幌区議、札幌商工会議所顧問のほか、殖産無尽、北拓鉄道、三山商事(運輸)、大成商事(輸出)、札幌火力送電など各社の要職も歴任。社会事業や育英事業の発展にも貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報