可須村(読み)かすむら

日本歴史地名大系 「可須村」の解説

可須村
かすむら

[現在地名]勝本勝本浦かつもとうら東触ひがしふれ西戸触さいどふれ大久保触おおくぼふれ仲触なかふれ

現町域の北部を占め、深い入江に恵まれ、おお瀬戸を挟んで名烏ながらす島・若宮わかみや島・たつノ島が連なる。東触のあまはら遺跡から中広銅矛(三本)が出土しているが、同所はセジョウガミと称される地で石の祠を祀っており、航海の安全を祈願する場であったという想定がある。串山くしやまミルメうら遺跡は縄文時代から古墳時代にわたる生産遺跡とされている。古代より勝本は海陸交通の要衝であったが、また見目みるめとともに異賊に対する防衛の要所でもあり、中世には高津こうづ城・風本かざもと城などが築かれている。豊臣秀吉による朝鮮半島への出兵に際して当地の日高右衛門尉らが従軍したという(勝本町史)。西に枝郷の坂本さかもと村がある。壱岐八浦の一つ勝本浦(風本浦ともいう)は村内の浦であるが、平戸藩浦掛の支配で、在方の本村とは別に扱われる場合が多い。江戸時代、勝本浦には異国警固の中心となる押役所が置かれ、若宮島には遠見番所が設けられた。

慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に香須村とみえ、高六四〇石余。慶長国絵図にも村名があり、正保国絵図では高三五七石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では可須村に大内戸おおうちど免・大谷おおや免・高瀬たかせ免・勝利しゆうり免・山坂やまさか免・坂本免・伏本ふしもと免・さと免・西石にしいし免・原田はらだ免・本村ほんむら免が記され、下条氏・竜崎氏・長峰氏らの給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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