日本歴史地名大系 「台方村」の解説 台方村だいかたむら 千葉県:成田市台方村[現在地名]成田市台方・赤坂(あかさか)二―三丁目・加良部(からべ)一丁目・同五―六丁目・橋賀台(はしかだい)一―三丁目・吾妻(あづま)一丁目・宗吾(そうご)一―二丁目・同四丁目船形(ふなかた)村の南に位置し、西は印旛(いんば)沼に面する。承応二年(一六五三)の公津(こうづ)村の分村により成立し、以後公津を冠称し公津台方村ともよぶ。翌三年の地詰帳(超林寺文書)に印東(いんとう)庄公津台方村とある。佐倉藩領。分村時の高四七三石余、承応三年の地詰帳では高五二二石余、元禄郷帳では高五四六石余。なお幕府領の飯田(いいだ)新田に当村分の切添新田六五石余がある(旧高旧領取調帳)。 台方村だいかたむら 千葉県:東金市台方村[現在地名]東金市台方東金町(辺田方村)の南西に位置し、東金道が通る。北東部に枝郷の砂郷(すなごう)がある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一千六〇二石。江戸時代初期は幕府領や佐倉藩領であったとみられるが明らかでない。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では東金組に属し、高一千四五〇石で老中土屋数直(同九年常陸土浦藩主)領。天明元年(一七八一)の万覚帳写(有原家文書)によると旗本松平領九五五石余・同三田領二三三石余・同滝川領一四〇石余・同河野領一四〇石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では滝川領がなく、三郷の清水領が加わっており、旧高旧領取調帳では清水領は幕府領に変わっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報