ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「史朝義」の意味・わかりやすい解説
史朝義
しちょうぎ
Shi Chao-yi; Shih Ch`ao-i
[没]広徳1(763)
中国,唐中期に起った安史の乱末期の指導者。史思明の妾腹の子であったが,性質は寛厚で,多くの部下の信服を得ていたといわれる。父の史思明が安禄山を殺した安慶緒を殺害して反乱を指導し,大燕皇帝を称すると,懐王とされた。しかし父が末子の史朝清を溺愛し自分を除こうとしたことに不安を感じ,上元2 (761) 年に父を縊殺して跡を継ぎ,史朝清やその母辛化らを殺害した。この頃,唐軍は立直り,広徳1 (763) 年敗れて自殺し,ここに安史の乱は終った。
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